■ ビロードのマントまといて枇杷の花
( びろーどの まんとまといて びわのはな )
( びろーどの まんとまといて びわのはな )
枇杷の花が咲きだした。花は実と同じように固まって咲くが、白の地味な花であまり目立たない.。蕾は茶色の萼(がく)に被われ、花が開くとまるでビロードのマントでも纏っているように見える。掲句はそんな枇杷の花を詠んだものである。
ところで、掲句では、花の萼をビロードのマントに喩えたが、周知のとおりこれを「比喩」という。俳句でもよく使われる表現方法なので、確認の意味で、ここに少し整理してみた。
まず、比喩は大きく以下の二つに分けられる。
【直喩】:「~ごとく・ごとし、~ようだ」というように物を何かに喩えて表現する。
【暗(隠)喩】:「何々は何々である」という風に対象を他のものとして表現する。
直喩では、「ごとし」などを入れるので何かに喩えていることが分かるが、暗喩では、暗に示すだけなのでわからない場合がある。
掲句の「ビロードのマント」は、上記分類でいけば暗喩になるが、枇杷の萼の喩えであることが分からないと、誰がマントを着ているの?枇杷の花がマントを着るなんて、何を馬鹿なことを言っているのだということになってしまう。
また、比喩が、非常に常識的なものであれば、句全体が非常に陳腐で平凡なものになる。逆に意外性、奇抜性を求めすぎると的外れの句、独善の句になる。その加減が実のところ非常に難しい。果たして掲句の比喩はどうなのか。いささか心もとない感じではある。
枇杷の花鳥もすさめず日くれたり (与謝蕪村)
枇杷の花咲くや揚屋の蔵の前 (炭太祇)
枇杷咲いてこそりともせぬ一日かな (村上鬼城)
忘れゐし花よ真白き枇杷五瓣 (橋本多佳子)
枇杷咲いて長き留守なる館かな (松本たかし)