■ 老鶯の声の出迎え山の寺
( ろうおうの こえのでむかえ やまのてら )
この塚は、東山連山の小高い山標高(210m)の頂上にあり、今は青蓮院(しょいうれんいん)の飛地境内にある。
こちらにはバスでも行けるが、麓から徒歩で30分ぐらいで行ける。当日は幸いなことに晴天だったので、前回と同様に三条神宮道の方から登った。
最近、山道を歩くことがなかったので、登り口から10分ほど歩くと、さすがに足が重くなり汗も出てきた。
トレッキングのコースにもなっており、途中何人かとすれ違ったが、鬱蒼とした森の中は文字通り森閑としていた。
そうこうする内に頂上付近まで何とかたどり着いたが、その時突然聞こえてきたのが鶯の甲高い囀り。なかなか見事な歌声だった。
本日の掲句は、その時のことを詠んだ句である。下五については「将軍塚」にすることも考えたが、地元以外ではあまり知られていないので「山の寺」とした。
尚、上五の「老鶯(ろうおう)」は、春が過ぎても鳴いている鶯のことで、年老いた鶯という意味ではない。老鶯(おいうぐいす)、夏鶯(なつうぐいす)ともいい、夏の季語になっている。
因みに、前回行ったのは6月末頃だったが、その時は以下の句を詠んでいる。
【関連句】
①万緑を分け入り将軍塚制す
②木下闇抜けて眼下に京の街
①は、「分け入っても分け入っても青い山」という種田山頭火の句を思い出し詠んだ句。*万緑(ばんりょく):草木が見渡すかぎり緑であること。夏の季語。
②は、山道の木下闇を抜け出ると、眼下に京都の町が広がっており、その壮観さに感激して詠んだ。*木下闇(こしたやみ):木の枝葉で日光が遮られた樹下のほの暗い所。夏の季語。
将軍塚とは、東山連山(正確には華頂山)の頂にある直径約20メートル、高さ約2メートルの塚のことだそうだ。現在は、青蓮院飛地の大日堂境内にある。
*将軍塚の名前は、桓武天皇が都を京都に移す際(794年)、都の鎮護のため高さ2.5m程の将軍の像を土で作り、甲冑を着せ、鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯びさせ、この地に埋めるよう命じられてできた塚であることに由来するとのこと。
この将軍塚の横に併設されている青蓮院青龍殿は、平成26年10月に落慶。建物の外には清水の舞台の約5倍もある大舞台が設けられた。
記事が長くなったので参考句は割愛する。
▼▼写真右の太く青い部分が鴨川
▼▼写真左下の赤い鳥居から見て、斜め上の緑の屋根が平安神宮
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