■ 大学に続く躑躅の街路かな
( だいがくに つづくつつじの がいろかな )
先日もある大学の付近を通ったら、大通り沿いに色とりどりの躑躅が果てもなく咲いていた。
本日の掲句は、そんな情景を詠んだ句。「躑躅」は春の季語。
ところで、この句を詠むに際し、上五に何を持ってくるか少し迷った。実は病院や公園の付近の街路も躑躅が何十メートルにもわたって咲いていたからだ。
「病院に」とすると、ちょっと憂鬱な感じはするが、それを躑躅が明かるくしてくれたという解釈が成り立つ。
「公園に」とするとやや平凡な気がするが、心が浮き立つ気分を詠んだという解釈もできる。
最終的に掲句にしたのは、桜の頃に入学した学生達が、大学生活に慣れて来た頃の若き憂鬱(五月病)と躑躅の晴れやかさの対比が面白いと考えたため。(本当のところ、完全な後付けの解説)。
考えてみれば、俳句は、詠む人の心境や置かれた環境によってどのようにも詠むことができる。解釈も人それぞれ。勿論、その良し悪しはというと別の話になるが。
因みに、躑躅に関しては過去に以下の句を詠んでいる。
【関連句】
① 沿道の躑躅はなやぎ夏どなり
② 蝶々が躑躅の上をてふてふと
③ 木漏れ日の躑躅躑躅の石の坂
①は、季重なりの句だが、いつも夏が近くなった頃に咲くことを詠んだ。
②は、蝶々が歴史的仮名遣で「てふてふ」と書くので、それを擬態語として詠んだ。
③は、大紫躑躅などが、ある神社の参道石段の両側に見事に咲いているのを見て詠んだ句。
躑躅は、ツツジ科ツツジ属の日本原産の植物。名前の由来は、花が連なって咲くことから「つづき」、また花が筒状であることから「つつ」などと呼ばれ、それが、次第に「つつじ」になったといわれている。(異説あり)
漢字の「躑躅」は中国名を当てたもので、「ゆきつもどりつする」の意。毒性のあるツツジを羊が誤って食べたところ、足ぶみしてもがき、うずくまってしまったということでつけられたそうだ。
「薔薇」とともに難解な漢字であり、一度覚えても直ぐに忘れる。もっともパソコンがあれば、覚える必要性もあまりないとは思うが。
躑躅を詠んだ句は非常に多い。以下には、その中から好むものをいくつか選んで掲載した。(過去に掲載したものを除く。)
【躑躅の参考句】
分け行けば躑躅の花粉袖にあり (高浜虚子)
真つ白き船の浮める躑躅かな (中村汀女)
ぎらぎらと鴉の背ある躑躅かな (岸本尚毅)
蝶の影大きく飛んで白つつじ (深見けん二)
躑躅発火寸前八百八町かな (後藤章)