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Channel: 写真・俳句ブログ:犬の散歩道
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■下呂 三句

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■ 下呂 三句

      ○ ころころとバック片手に夏の下呂
                 ( ころころと ばっくかたてに なつのげろ )
      ○ 下呂の町下駄を鳴らして夕涼み
                 ( げろのまち げたをならして ゆうすずみ )
      ○ 山間の涼気さしこむ下呂の朝
                 ( やまあいの りょうきさしこむ げろのあさ )
 
イメージ 1昨日は高山市内の散策の記事を書いたが、その日は、昼が過ぎた頃に鍛冶橋の近くの店で飛騨牛重を食べた。せっかくだからと奮発して注文したのは上(1200円)。味の方はまあまあだった。

それから高山駅へ行き、特急ひだで下呂に向かった。所要時間は凡そ50分、2時過ぎに駅についた。例により観光案内所で散策マップを貰い、宿泊予定の旅館の場所を確認。

徒歩で10分ぐらいの所だと分かり、キャリーバックを転がしながらぶらぶらと歩いた。朝の雨はすっかり止んで、暑い陽射しが容赦なく照りつける。掲句の第一句は、その時の様子を詠んだものである。季語は「夏」。
 
旅館には、チェックインの3時より早く着いたが、頼んで部屋に入れてもらった。女将さんに近くで散策できるところはないか聞いたところ、「合掌村」があると聞き、まずはそこに行くことにした。(この合掌村に関しては、下呂温泉のイメージと少し違うので、後掲の付録で紹介する。)
 
ころころとバック片手に夏の下呂イメージ 2
 
合掌村から旅館に帰ってきたのは5時過ぎ。夕食まで少し時間があったので、まずは温泉に入って汗を流す。この下呂の温泉は、有馬、草津と並び日本三名泉の一つにもなっており、少しぬるぬるした感じだが気持ちが良かった。

その後は、夕食をとり、旅館の浴衣と下駄で町の散歩に出かけた。下駄を履くのは本当に久しぶりのことで、何度かこけそうになったが次第に慣れてきて、あのカランコロンという音も出せるようになった。

掲句の第二句は、その時の様子を詠んだもの。中七の「下駄を鳴らして」という言葉は、同世代の人なら知っていると思うが、かまやつひろしさんが歌った「我が良き友よ」からの借用。季語は「夕涼み」で季は夏。
 
下呂の町下駄を鳴らして夕涼み
イメージ 3
 
夕涼みの後は旅館の部屋に戻って少しくつろぎ、その後再び温泉に入ってから寝た。翌日の朝は、6時過ぎに起きて洗面代わりに温泉に浸かった。このように、大体温泉に行けば3度は入泉する。

入泉の後、朝食まで時間があったので、近くの温泉寺まで散歩に出かけた。その時感じたのが、ひんやりとした涼しさである。それが少し寒いくらいで、ここは山地なんだということに改めて気づかされた。掲句の第三句は、その様子を詠んだ句で、「涼気」が夏の季語。
 
山間の涼気さしこむ下呂の朝
イメージ 4
 
朝の散歩を終えて旅館に帰り、朝食をとってチェックアウト。近くの「温泉博物館」を見た後、下呂駅に向かった。この日は、岐阜に立ち寄ってから京都に帰る予定。岐阜で詠んだ句と記事については明日のブログに掲載したい。
 
 
【付録:下呂温泉合掌村
下呂温泉合掌村は、白川郷、五箇山などから移築した合掌造りの民家で集落を再現した空間(博物館)。白川郷には何度か行っているので、合掌造りはそれほど珍しくなかったが、こういう環境に触れることは、やはり心の癒しになる。

ゆっくりと「村」を散策し、ここで一番高いところにある展望休憩所に向かったが、その途中で夏萩が咲いているのを見つけた。それをを詠んだのが以下の句。

           合掌の村は日暮れて夏の萩

イメージ 5
 
敷地内には、江戸時代初期の遊行僧円空が彫ったという仏像を展示した「円空館」があり、それを暫く観覧して、帰ろうと出口に向かった。時刻は5時少し前で、日暮れには少し早かったが、「村」に残っている人はほとんどいなかった。
 

■岐阜城 二句

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■ 岐阜城 二句

     ○ 岐阜城や天下眺むる雲の峰
               ( ぎふじょうや てんかながむる くものみね )
     ○ 国盗りに馳せる山城夏の夢
               ( くにとりに はせるやましろ なつのゆめ )
 
昨日は下呂の記事を書いたが、この日朝は、下呂駅10時26分発の特急ひだに乗り岐阜へ行った。駅には11時39分に到着。今回も最初に寄ったのは観光案内所で、当地の見どころを聞いた。

イメージ 1真っ先に挙げられたのが岐阜城がある岐阜公園。バスで15分程度だというので、とりあえずそこに行くことにしバスに乗った。岐阜公園前の停留場に降りると、目の前に見えたのが金華山(きんかざん)という山。その頂上あたりには岐阜城の天守閣が見えた。

頂上まではロープウェーが設置してあり、それに乗って頂上駅で降りる。そこから10分ほど坂道を歩き、目指す岐阜城に着いたが、思っていたよりもかなり小さい。入り口の説明書きを読むと、この城は、関ヶ原の戦いの後に廃城になっていて、1910年に木造の模擬城が建てられたが焼失。1956年に現在の天守閣が再建されたそうだ。

内部を見ると、鎧兜などの武具や肖像画など様々な歴史的資料が展示されていたが、当時の城の様子を示すものはなかった。ただ、天守閣から見る景色は素晴らしく、暫くは、そこに佇み四方を見下した。

本日の掲句の第一句は、その絶景を眺めながら詠んだ句である。今は、ビルや家が建ち並んでいるが、恐らくこの城が栄えた戦国時代は、こんな風景ではなかっただろう。多分森林や原野が果てしなく広がっていたことだろう。本句では「雲の峰」が夏の季語。
 
岐阜城や天下眺むる雲の峰
イメージ 2
 
第二句は、この城が築かれてから、廃城に至るまで城主が様々に変ってきた歴史を知り詠んだ句である。この城の始まりは1201年だが、16世紀中頃、斎藤道三が居城とし、後に織田信長が攻略して天下統一の本拠地とする。その後もいろいろな変遷を経て、徳川家康の命により廃城となる。季語は「夏」。
 
 国盗りに馳せる山城夏の夢
イメージ 3
 
岐阜城を見た後は、ロープウェーで下山し、鵜飼で有名な長良川の河原を見て、岐阜公園を後にした。そして岐阜駅5時43分発の特急ひだに乗り京都へ帰った。二泊三日の気ままな小旅行だったが結構楽しめた。
 
尚、来週からは、以前のように近辺の花などを詠んだ句と関連記事を掲載するブログに戻る。引き続きのご愛顧をお願いしたい。
 
 
【付録:リス村】
 
イメージ 4
ロープウェーの山頂駅近くには、「リス村」という施設があり、面白そうなので入場した。中には、小さなタイワンリスが数十頭放し飼いになっていて、革手袋をはめて直接餌をやることができる。仕草が非常に可愛らしいせいか、子供連れも多かった。

何故こんな所にリスを飼う施設があるのか。後で調べると、1936年(昭和11年)に岐阜公園で行われた「躍進日本大博覧会」の会場から逃げ出したリスが野生化。そのリスを捕まえ、調教してこのリス村にすまわせるようにしたとのこと。
 
 
 
 
 
 

紫陽花や色落ちぬれば緑なり

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■ 紫陽花や色落ちぬれば緑なり
           ( あじさいや いろおちぬれば みどりなり )
 
8月7日は立秋。あと3日で秋に入る。毎日うだるような暑さなのに、秋なんておかしいと思われるかも知れないが、近辺を見れば夏の花はほとんど途絶え、秋の花が咲き始めている。

イメージ 1夏の花で代表的なものと言えば、真っ先に紫陽花(あじさい)が挙げられるが、その花は今どうなっているのか。もうすっかり萎れて、薄茶色に変色しているものと思っていたが、近所の紫陽花を改めて見ると薄緑色に変色している。

ここだけかと思ったら、他の場所で咲いているものも、ほとんどが薄緑色。しかも白色の花を咲かせていた柏葉紫陽花も薄緑色になっている。これまで何で気が付かなかったのだろう。多分、梅雨明け頃から花の色が褪せてきて、紫陽花ももうおしまいだと思い、特に注意して見ることがなかったからだろう。

本日の掲句は、そんな紫陽花の花を見て詠んだ句である。薄い緑色に変色した紫陽花をどう見るか。それは、各人の美意識によるものと思うが、自分には、それなりに新鮮に見えた。中七には「色落ち」という言葉を使ったが、これは、一般には「衣服の染め色が洗濯などにより落ちること」をいう。緑色への変色は、「枯れる」というには早すぎるような気がするので、敢えてこの言葉を使ってみた。

恐らくこの後は、徐々に水気を失ってドライフラワーのようになり、薄茶色に変色していくことだろう。それはそれで、枯紫陽花(かれあじさい)と言い、大変愛でる人もいるそうだ。

イメージ 2
 
以上で本記事を終えても良かったのだが、記事を掲載するにあたって、念のため、何故紫陽花は枯れる前に緑色になるのか調べていくと、「アジサイ葉化病」という言葉に出くわした。

これは、「アジサイの花(がく)全体またはその一部が淡い緑色から濃い緑色の葉っぱのようになる病気」で、ファイトプラズマという微生物によるものだそうだ。でもこれは開花前後に発症するもので、花が終わりかけた時に緑に変色するのは普通の現象だとのこと。

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また、「秋色あじさい」という種類の紫陽花があることも分かった。この紫陽花は、初夏には淡いピンク色なのに、夏には緑色になり秋に赤や褐色に変わるそうだ。近辺で見たものがその種のものかどうかは定かでない。

直接紫陽花を栽培した経験がないので、いろいろな関連記事を見ても良く分からないことが多かった。紫陽花の枯れる前の緑化について詳しい方がおられれば、コメント欄で教えていただければ幸いである。
 
額紫陽花                            柏葉紫陽花
イメージ 4イメージ 5

蓮池に蓮口数多異様なり

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■ 蓮池に蓮口数多異様なり
         ( はすいけに はすぐちあまた いようなり )
 
蓮は、夏の代表的な花の一つだが、もう盛りを過ぎたようだ。先日行った植物園の蓮池の蓮も、そのほとんどが花弁を落としていて、プールの更衣室にあるシャワーのようなものが幾本も並んで立っていた。

イメージ 1この光景を初めて見た時の衝撃は今も忘れられず、何と異様な空間だろうと思った。シャワーの先が皆一方向を向いていて、今にも水が吹き出しそうな感じである。また一つ一つが潜望鏡のようで、蓮の葉の間から首を伸ばし何かを窺っているようにも見える。

本日の掲句は、そんな印象を詠んだ句である。中七に使った「蓮口(はすぐち)」とは、シャワーや如雨露(じょうろ)の水の噴出口(ヘッド)のことで、この花びらを落とした蓮の花托から命名された。本句では「蓮池」を夏の季語におく。

ところで、この句に関連しては、同様の趣旨の句を昨年以下のように詠んでいる。

  花落ちて蓮口ならぶ蓮の池

この句は、それなりに花が散った後の蓮池の情景を描けていると思うが、どうも蓮池の異様な空気が伝わってこない。ならば、どうすべきかといろいろ考えた末、掲句では下五に「異様なり」とそのまま入れて詠んだ。

一般に感動を露出した句は、含みや余情が消えてしまうため、良くないと言われている。しかし、特段注目されていないものなどについては、敢えて言わなけば注目を集めることができず、意が通じないことがある。従って、この場合はやむを得ないものと思う。

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それはさておき、もう少し時を経た初秋の頃に詠んだ句に以下のものがある。

     蓮池は蜂巣ばかりの初秋かな

「蜂巣(はちす)」とは、先に「蓮口」といった蓮の果実(花托)の喩えである。この頃になるとかなり果実も垂れてきて、蜂の巣そっくりになってくる。ご存じかも知れないが、それが、この植物の名が「はちす」→「はす」になった由来だと言われている。

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更に、時が進行していくと、花托の中の種子が大きくなり、熟すとそこから飛び出ててくる。この種子は食べられるそうで、少し苦味があるが、カリッとした歯ごたえで、かすかに甘みがあるとのこと。自分は、まだ食したことはない。

尚、「蓮口」や「蜂巣」を詠んだ句はないので、以下では、秋の季語にもなっている「蓮の実」「蓮の実飛ぶ」を詠み込んだ句を幾つか参考まで掲載したい。

    【蓮の実の参考句】
     稲妻に負けず実の飛ぶ蓮かな     ( 小西来山) 
     蓮の実のこぼれ尽して何もなし     (正岡子規)
     蓮の実の飛ぶ静かなる思惟を見し   (中島月笠) 
     蓮の実飛ぶ年々に子の遠くなり     (江中真弓)
     蓮の実の泥に落ちたる安らぎよ     (安田将幸)
 
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たおやかに柳花笠舞う小道

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■ たおやかに柳花笠舞う小道
              ( たおやかに やなぎはながさ まうこみち )
 
柳花笠(やなぎはながさ)は、近辺の道端でも最近よく見かける。大変強い草花で、野生化してきているようだ。名前は、葉が柳のように細く、長い茎の先端に小さな花を笠状につけた姿から付けられてようだ。
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本日の掲句は、散歩道沿いにある駐車場の一画に、群生している柳花笠を見て詠んだ句である。花の色が薄紫色で上品な感じがし、茎も細く全体的にしなやかな感じがする。尚、柳花笠は季語になっていないようだが、夏に咲く花なので、夏の季語に準じて使用した。

ところで、季語は、誰がどうやって決めているのか。書籍やネットなどで調べたところによると、角川書店や講談社などが出版している歳時記を編集するメンバーの方々(著名俳人、評論家など)が決めているようである。

勿論、好きなように決めている訳ではなく、和歌の「部立て」や連歌の「季寄せ」などをベースにし、各出版社、編集者ごとの一定の基準により、新しい季語を追加したり、時代に合わなくなったものは削除していく。

特に新しい季語に関しては、名の知れた俳人が名句を詠むことによって、季語になることも多いとか。中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」で「万緑」が季語になったというのは有名な話である。

そうであれば、掲句の「柳花笠」も今後名ある俳人に詠まれ、更に多くの人にも詠まれることによって季語として認められることになろう。「季語に準じて使用した」とは、そういう期待を込めて句にしたという意味である。
 
イメージ 1
 
柳花笠は、クマツヅラ科クマツヅラ属の多年草。原産地は南アメリカ。日本には園芸植物として導入されたが、野生化して空き地や道端などでも多く見られる。こぼれダネでも増えていくので、いつの間にか意外なところで芽を出すとのこと。

花期は7月~9月で、花色には桃色、紫色がある。高さは90~180センチになり、別名で三尺(さんじゃく)バーベナとも呼ばれている。
 
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ビジュアルにきめてふさふさハゲイトウ

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■ ビジュアルにきめてふさふさハゲイトウ
                                   ( びじゅあるに きめてふさふさ はげいとう )
 
今日は立秋の日。暦の上では秋になるが、連日の蒸し暑さはそれを感じさせない。とはいえ、徐々に秋らしい風情も見受けられるようになってきた。

イメージ 1今日紹介する葉鶏頭は、今見れば少々むさ苦しい感じはするが、秋が深まればもっと爽やかに見えてくるだろう。掲句はそんな葉鶏頭を植物園で見て詠んだ句である。葉鶏頭は秋の季語。

尚、老婆心ながら、この句は、髪の毛が薄い伊藤さんの前では、声を上げて読まない方が良いと思う。気を悪くされるかも知れない。

因みに、過去に葉鶏頭を詠んだ句としては以下のものがある。

【関連句】
 ① 葉鶏頭連獅子舞の髪のごと
 ② 葉鶏頭XJAPANのライブかな

①は、今は亡き中村勘三郎さんと子との親子三人による連獅子の舞いを思いだして詠んだ句である。勘三郎は好きな役者の一人だったが57歳という若さでなくなった。非常に惜しまれる。

②は、ビジュアル系ロックバンドで今も根強い人気を持っている XJAPAN のライブにたとえて詠んだ句である。熱心なファンではないが、その奇抜なファッションが印象に残っていた。

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葉鶏頭は、ヒユ科ヒユ属の一年草。インド、熱帯アジア原産。日本には江戸時代後期に渡来した。花は全く目立たないが、頂上部の葉は秋の低温で色を増し、赤、黄、緑、白など色鮮やかになる。

特に赤い葉が「鶏頭」に似ているところから、この名になった言われるが、鶏頭とは科は同じだが別種の植物である。別名には「雁来紅(がんらいこう)」「かまつか」がある。

    【葉鶏頭の参考句】
     塀低き田舎の家や葉鶏頭            (正岡子規)
     葉鶏頭と競はんとして空青き         (能村登四郎)
     風神の火の神となる葉鶏頭          (鷹羽狩行)
     葉鶏頭雨のひかりの日もすがら      (岡本眸)
     赤すぎはせぬか参道の葉鶏頭       (綾野道江)
 
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用無しも浮かぶ瀬はあり蚊帳釣草

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■ 用無しも浮かぶ瀬はあり蚊帳釣草
                             ( ようなしも うかぶせはあり かやつりぐさ )
 
暦の上では秋になったが、夏の句が少し残ったので、暫くは秋の句に織り交ぜて掲載したい。
さて、今日の掲句は、我が狭庭にどこからか飛んできて居ついてしまった蚊帳吊草(かやつりくさ)を見て詠んだ句である。とはいっても、蚊帳のことについて知らない人には、さっぱり分からない句だろう。
イメージ 1
蚊帳とは、「蚊などの害虫から人などを守るための網」のことで、まだ幼い時には必需品だった。夕方になると網の周りに付けてある輪の金具を、長押(なげし)の鉤(かぎ)などにかけて固定し、中でふざけて遊んだことを記憶している。

その蚊帳も、下水の普及による蚊の減少、網戸の採用、殺虫剤の普及などで、昭和の後期にはほとんど使われなくなった。しかし、蚊の多いアフリカや東南アジアなどでは重宝がられ、今も日本の蚊帳がかなり活躍しているそうだ。

また、最近では、蚊帳は電気も薬品も使わない防蚊手段であり、エコロジーの観点や薬品アレルギー対策として見直され始めているとのこと。

掲句は、そんな蚊帳の状況を思い浮かべながら、たとえ用無しになっても浮かぶ瀬はあると詠んだ句である。尚、蚊帳吊草は夏の季語なので、本句は夏の句とする。
*浮かぶ瀬:逆境から脱する機会。助かる機会。

ところで何故、蚊帳吊草がその名前になったのか。これは、この草の茎の一部を切って、両方から同時に割くと蚊帳のように四辺形(下の写真参照)ができるという遊びから命名されたそうだ。茎が途中で切れないようにするのが肝要。
 
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蚊帳吊草は、カヤツリグサ科カヤツリグサ属の一年草。道端や田畑にも出現する雑草。草丈は30cm~60cm。茎は節がなく、枝分かれせず、真っすぐに伸び、先端に花序をつける。茎の断面は、三角形になっている。夏から初秋にかけて小穂を伸ばし、鱗片状の黄褐色の花をつける。
別名で、枡草(ますぐさ)、蜻蛉草(とんぼぐさ)ともいう。
 
    【蚊帳吊草の参考句】
     翁にそ蚊屋つり草を習ひける       (立花北枝)
*蚊屋=蚊帳
     行き暮れて蚊帳釣草にほたるかな     (各務支考)*蚊帳釣草=蚊帳吊草
     野に伏せば蚊屋つり草も頼むべし    (小林一茶)
     淋しさの蚊帳吊草を割きにけり     (富安風生)

      風知つてうごく蚊帳吊りぐさばかり    (大野林火)
 
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麗しく遥かインカの百合の咲く

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■ 麗しく遥かインカの百合の咲く
                         ( うるわしく はるかいんかの ゆりのさく )
 
先日飛騨の高山界隈に旅行した時に、ある農家の花壇で、花の形が百合に似ているが、花弁の模様などが何となく違う感じの植物を見た。その花の名前はアルストロメリアといい、和名が百合水仙(ゆりずいせん)ということを後に知った。

イメージ 1その花のことを更に調べていくと、原産地は南アメリカで、「インカの百合(Lily of the Incas)」ということが分かった。あのアンデス山脈のインカの百合とは・・・。そう言えば、何となくそんな感じに見える。

掲句は、そんなことを知って詠んだ句である。上五については「気高き(けだかきや)」「尊きや(とうときや)」なども考えたが、最終的に「麗しく」とした。尚、この花は季語になっていないが、百合に準じて夏の季語として使用した。

事の序(ついで)に、インカ帝国について調べてみたが、この帝国は、南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)等を中心にケチュア族が作った国で、15世紀前半から16世紀前半にかけて繁栄したアンデス文明最後の国家と言われている。

インカとは太陽(インティ)の子という意味で、本来はインカの王のことを指し、インカ民族は、自分たちの国を「タワンティンスーユ(4つの部分)」と呼んだ。

前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドール(征服者)に滅ぼされるまで続いた。

世界遺産登録のマチュ・ピチュは、15世紀のインカ帝国の遺跡とされているが、未だに解明されていない多くの謎がある遺跡で新・世界七不思議の1つに選ばれている。

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百合水仙は、ユりズイセン(アルストロメリア)科ユリズイセン属の多年草。原産地は南アメリカでアンデス山脈の寒冷地に自生する。わが国へは大正末期か昭和初期に渡来した。分類体系により、ユリ科、ヒガンバナ科に分類されることもある。

草丈は30~100センチになり、披針形の葉が互生する。花期は5月から7月ごろと言われるが種類によっては4月から11月頃まで咲くとのこと。茎頂で分枝して、白、赤、オレンジなど様々な色の花を咲かす。花弁にある斑点やラインは昆虫を誘うためだそうだ。

学名のアルストロメリアは、スウェーデンの植物学者アルストレーメルの名前に由来。別名には、インカの百合の他に、夢百合草(ゆめゆりそう)などがある。
 
イメージ 3
 
 

 

■台風一過 三句

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■ 台風一過 三句
 
      ○ 久々の空の青さよ台風一過
                ( ひさびさの そらのあおさよ たいふういっか )
      ○ 濁流の音も和らぎ台風一過
                ( だくりゅうの おともやわらぎ たいふういっか )
      ○ 台風一過ときは今ぞと蝉時雨
                 ( たいふういっか ときはいまぞと せみしぐれ )
 
イメージ 1台風11号、全国に様々な傷跡を残しながらも、北に抜けて行った。幸いなことに我が界隈は特に大きな被害はなかった。
 
昨日の朝は、とりあえず周辺がどのようになっているかを見に、鴨川の加茂大橋近辺に行ってみた。その時に目にしたものを句にしたのが本日の掲句である。台風一過(たいふういっか)は秋の季語。

第一句は、北の空の雲間に見えた青空を見て詠んだ句である。台風が去った後の青空は殊に美しく、それを見て率直に嬉しく思った。この句は、数年前に詠んだ句だが、変えようがなく再掲した。

第二句は、鴨川の濁流を見て詠んだ句である。大雨が降っている最中がどのような状況だったのかは分からないが、今回は思ったよりも水嵩が少なく穏やかな感じがした。

第三句は、岸辺から聞こえてきた蝉の声に気づき詠んだ句。台風の間はどうしていたのだろう。蝉の季節も後わずか、蝉が待ってましたとばかり大きな声で鳴き出した。

因みに、台風一過の句は、これまでも何句か作ってきたが、比較的ましなものを以下に掲載したい。

     【関連句】
      ① 古枝の落ちて寂しき台風一過
      ② 台風一過雲の切れ目に北十字

①は、散歩道の所々に散乱している古枝を見て詠んだ句。台風に耐えられず落ちて行く古枝に悲しさよりも寂しさを感じた。②台風が過ぎた夜の空を見上げて詠んだ句。雲はまだ空を覆っていたが、その切れ間から明るい星が見えた。それは紛れもなく北十字星(白鳥座)だった。

イメージ 2
 
尚、台風という言葉は比較的新しく、明治時代末に当時の中央気象台長が「颱風」を使い、当用漢字が定められた1946年以降に「台風」となったそうだ。それまでは、「野分き(のわき)」と呼ばれていた。

語源については、台湾や中国福建省で激しい風のことを「大風(タイフーン)」といい、それがヨーロッパ諸国で音写され「typhoon」となり、それが再び中国や台湾に入り、「颱風」が使われるようになったという説があるが、異説もある。

     【台風一過の参考句】
      台風一過中州に鴨の羽繕ふ       (大山妙子)
      谺して台風一過の瀧の音         (島崎晃)
      台風一過河口を塞ぐ座礁船       (徳田正樹)
      台風一過倒木にある日射かな     (中貞子)
      朝の浜台風一過の烏賊拾ふ      (菅原孟)
 
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ペチュニアのただたんたんと美しき

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■ ペチュニアのただたんたんと美しき
                                 ( ぺちゅにあの ただたんたんと うつくしき )
 
ペチュニアは、コンテナや花壇などでよく見かける花で、ずっと以前から知っていたが、なかなか句ができなかった。花としては、形が非常に端正で色も鮮やかであり、全く申し分ないのだが、そのため却って取っ付きにくい。

イメージ 1それは、親しみが持てないというのでなく、その特徴をうまく表現できないという意味である。そんな時は、名前にかけて句を作ることもあるのだが、花の名前もカタカナで意味も不明となると、手のつけようがない。

それでも、何か句が出来ないかと考え、苦し紛れに詠んだのが掲句である。ペチュニアは美しいのは間違いないが、何か掴みどころがないという印象を詠んだ。ペチュニアは夏の季語。

ところで、こういう花壇の花でカタカナ名の綺麗な花は、インパチエンス、ベゴニアなど他にも沢山ある。最近よく見かけるポーチュラカもその一つにあげられるが、この花についても、やや苦し紛れに昨年初めて以下の句を詠んだ。

シンプルはベストなりとやポーチュラカ

花の形が非常にシンプル(単純素朴)なので、そのことを「シンプル・イズ・ベスト」という成句にかけて詠んだ。(ポーチュラカの写真は最後尾に掲載)

イメージ 2
 
ペチュニアはナス科ペチュニア属に属する一年草(本来は多年草)。原産地は南アメリカ。花期は4月~10月。園芸植物として品種改良がなされ、花の大きさは大輪、中輪、小輪、花の色は赤、紫、白、桃など多彩。ペチュニアの語源は、ブラジル先住民の言語で「たばこ」を意味する「ペテュム」で、葉の形がそっくりなので名づけられたとのこと。

日本には、衝羽根朝顔(つくばねあさがお)の名で江戸末期に渡来したが、枯れることが多くあまり人気が出なかった。しかし、日本の気候に適応できるよう、サントリーが品種改良した「サフィニア」が世に出た1989年頃から人気が高まったとのこと。サフィニアは、英語のSurfing(サーフィン)とPetunia(ペチュニア)から得られた造語。
 
因みに、ペチュニアの品種改良に関しては、今や日本が最先進大国だそうだ。

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ペチュニアは、世に出回って新しいこともありを詠まれた句はまだ少ない。以下にはネットで見つけた幾つかの句を参考句として掲載したい。

     【ペチュニアの参考句】
      夕風やペチュニア駄々と咲きつづけ   (八木林之助 )
      ペチュニアの花一鉢と肉を買う      (岩淵喜代子)
      ペチュニアの風のままなる咲き上手   (荒谷京)
      ペチュニアの家に幸ひあふるるや     (山根真矢)
 
 
▼ポーチュラカ
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おかめよりおかっぱかぼちゃというべきか

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■ おかめよりおかっぱかぼちゃというべきか
                                            ( おかめより おかっぱかぼちゃと いうべきか )
 
先日、植物園に行った時に面白い南瓜(かぼちゃ)を見た。名前は「おかめ南瓜(かぼちゃ)」。掲句は、それを見た時の印象を表現したものだが、もっぱらその南瓜の紹介のために作った句である。

イメージ 1写真の通り、この南瓜の蔕(へた)側は普通のものと変わらないが、下半分は皮が剥けて、ふくらみが3つから4つある。どうも、このふくらみが「お亀(おかめ)」=「お多福(おたふく)」の頬のふくらみに似ていることから「おかめ南瓜」と命名されたようだ。

しかし、ぱっと見たところでは、「おかめ」というよりも「おかっぱ姉ちゃん」の頭のように見えたので、掲句のように詠んだ。尚、南瓜は、歴とした秋の季語。「南瓜の花」「花南瓜」は夏の季語。

ところで、この南瓜はどのようにしてできたのか。ネットで調べた限りでははっきりしなかったが、食用でなく観賞用として栽培されているとのこと。新潟県長岡市栃尾が主たる産地で、ここでは、「栃尾おかめかぼちゃ全国コンクール」なるものが、かつて開催されていたそうだ。

このコンクールでは、白くつるつるした部分にお亀やひょっとこなどの絵を描きこみ、その出来映えを競う。その概要や作品に興味のある方は、古い記事だが以下をクリックしてご覧いただきたい。
 
       「栃尾おかめかぼちゃ全国コンクール」 ←クリック

また、その他のいくつかの地方では、「ベレー帽かぼちゃ」として出荷されているとのこと。
 
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南瓜は、ウリ科カボチャ属の蔓性植物。原産地は南北アメリカ大陸。日本には、16世紀中頃にポルトガル人がカンボジアの産物として伝えたとのこと。そのため、当初「かぼちゃ瓜」と呼ばれ、その後「瓜」が落ちて「かぼちゃ」に転訛したというのが通説。

漢字の「南瓜」は、南蛮渡来の瓜の意味で中国語になっており、そのまま日本でも使用された。別名に「唐茄子(とうなす)」「南京(なんきん)」などがある。
 
果実は野菜として食用され、カロテン、ビタミン類を多く含む。日本には江戸時代から冬至にカボチャを食べる風習があるが、これはかつて冬に緑黄色野菜が少なく、ビタミンが欠乏しがちであったことに由来するそうだ。
 
    【南瓜の参考句】
      鶺鴒がたたいて見たる南瓜かな     (小林一茶)
*鶺鴒(せきれい)
      どつしりと尻を据えたる南瓜かな     (夏目漱石)
      草高き垣根に太る南瓜かな        (原石鼎)
      目を閉ぢてほほゑむおかめ南瓜かな  (阿波野青畝) 
      子を抱いてかぼちや畑に朝まだき    (星野立子)
 
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名も色も涼しきことよ初雪かずら

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■ 名も色も涼しきことよ初雪かずら
                      ( なもいろも すずしきことよ はつゆきかずら )
 
イメージ 1最近、白やピンクの涼しげな葉を広げている植物をよく見かける。名前は「初雪かずら」という。その葉の様子が初雪が積もった時の様子に似ているところから付けられたそうだ。

本日の掲句は、そんな植物の姿と名にかけて詠んだ句である。「初雪かずら」は季語でないので、本句は、「涼し」を季語とし夏の句としたい。

ところで、「初雪かずら」に関しては、過去にも以下の句を詠んでいる。

【関連句】
 ① 残暑にも葉色涼しき初雪かずら
 ② 秋涼や初雪かずら白白し

お読みいただければ、お分かり頂けると思うが、いずれも似たような情景を詠んでいる。ただ、詠んでいる時期が違い、句の趣も微妙に違う。

すなわち、掲句は、夏の暑い盛りの句で、初雪かずらから感じる涼しさを強調し、関連句の①は、残暑の中でいくらか和らいだ涼しさを、②は、秋も少し深まり、幾分ひやっとした感じを表現している。

いささか手前勝手な自解ではあるが、これらの三句は同じような趣向でも、感じるものが違うということで、並列に残すことにした。

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初雪かずらはキョウチクトウ科テイカカズラ属の蔓性常緑低木。原産地は日本で、定家かずらの斑入り品種である。葉っぱがきれいなため、寄せ植えやハンギング、地面を覆うグランドカバーなどによく利用される。定家かずらを小さくしたような花を咲かすそうだが、当方まだ見たことがない。

葉色は、新芽の時が赤みの強い淡いピンク色で、徐々に白みが強くなり、次いで白と緑色の斑点が混ざった姿になる。特に夏の終りから秋の初めの頃が涼しげで美しい。最終的には緑一色になり、更に秋が深まると紅葉する。

尚、季語になってないせいもあり、初雪かずらを詠んだ句はほとんどないので、参考句は割愛する。
 
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大雨を鎮め今燃ゆ大文字

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■ 大雨を鎮め今燃ゆ大文字
        ( おおあめを しずめ いまもゆ だいもんじ )
 
イメージ 1一昨日の16日、京都では毎年恒例の「五山送り火」が催された。朝から弱い雨が降り、昼頃には大雨にも見舞われ、実施が危ぶまれていたが予定通り行なわれた。

近くに住んでいる関係で、いつも大文字山(如意ケ嶽)の「大」という送り火を見るのだが、点火される午後8時頃には雨もほぼ上がり、傘を差すこともなく見ることができた。

本日の掲句は、その時の感慨を詠んで句である。夕方まで降っていた雨が、点火の目前で嘘のように止んだことが、何とも不思議な感じだった。尚、「大文字」は、「送り火」とともに秋の季語。

因みに、五山送り火に関しては、過去に以下の句を詠んでいる。
 
 【関連句】
  ① 送り火や闇に浮かぶは大一字
  ② 送り火の消えゆく炎過ぎし夏
  ③ 今はまだ送る側にて大文字

①は、大文字山の大の一字が赤々と燃え、闇に浮かぶ情景を見て詠んだ句。その炎も30分ほどで静かに消えていくが、②は、その情景を見て、夏の終わりを実感し詠んだ句。③は、まだ送る側にいる自分を再確認した句。

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「五山送り火」は、京都の如意ヶ嶽(大文字山)などの五山で、文字や絵などをかたどった、篝(かがり)火を燃やす行事である。起源は平安時代とも江戸時代とも言われるが公式な記録は存在しないとのこと。
 
篝火の文字や絵には、それぞれ由来があるようだが、最も知られている大文字山の「大」に関しては諸説あり、まだ定説がないようだ。地元では阿弥陀仏が放った光明を弘法大師が「大」の字に書き改めたとする説や、足利義政が早世した子を弔うために、山に巨大な人形を描かせたのが始まりとする説などの言い伝えがある。

     【大文字の参考句】
      門跡に我も端居や大文字         (河東碧梧桐)
      大文字の火のかゞよふや雲赤し      (青木月斗)
      燃えさかり筆太となる大文字       (山口誓子)
      屋上ヘスリッパで出て大文字        (茨木和生)
      まばらかになりて消えつつ大文字     (長谷川櫂)
 
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顔色をお伺いつつ朝顔展

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■ 顔色をお伺いつつ朝顔展
    ( かおいろを おうかがいつつ あさがおてん )
 
8月初めに京都の植物園に行った時に、丁度「朝顔展」が行われていて少し立ち寄った。展示場は、外に設けられていて、今まで見たことのないような様々な形、色の朝顔が並べてあった。

イメージ 1その一つ一つをじっくり眺めながら詠んだのが本日の掲句である。「顔色を伺う」とは、相手の顔色からご機嫌を伺うことを言うが、朝顔の「顔」にかけて使ってみた。ただ、ここでは、朝顔の花の形や色艶を丁寧に見て回ったという意味になる。

ところで、朝顔は夏の花なのか秋の花なのか、よく問題になるが、子供の頃は当然ながら夏の代表的な花と認識していた。しかし、8月7日前後に立秋を迎え、それ以降、暦の上では秋になるため、俳句では秋の季語となっている。

更に、日本種の朝顔は、7月初め頃から咲き始め8月終り頃には枯れてしまうが、中央アメリカ原産の西洋朝顔などは、8月初めから11月初め位まで咲くので、今や夏の花とは言えなくなってきているようだ。

因みに朝顔については、過去に以下の句を詠んでいる。
 
    【関連句】
     ① 朝顔におはようと声かけし朝
     ② 朝顔やちょっと得した気分にて 
     ③ 朝顔や日記に記す昨日今日

①は、ある悩み事が解消し、すかっと目が覚めた朝、大きく開いた朝顔の花を見て詠んだ句。②は、久しぶりに早起きした時の気分を詠んだもの。「早起きは三文の得」というが、お金は得ずとも何か得した気分になる。③は、朝顔と言えば、夏休みの絵日記。そんなことを思いだしながら詠んだ句。

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朝顔は、ヒルガオ科サツマイモ属の蔓性一年草。中国原産で、平安時代に薬草として渡来したそうだ。花は大きく開いた円錐形で、5枚の花弁が漏斗状に融合している。日没してから約10時間後(朝4時頃)に開花し、昼前には萎んでしまう。

朝顔が観賞用となったのは鎌倉時代以降で、特に江戸時代には繰り返し朝顔ブームが訪れ、葉と花の多様な変化や組み合わせを楽しむ「変化朝顔」が創り出された。明治に入ってからは、「大輪朝顔」が持てはやされ、今日の全盛の礎となった。
 
朝顔に詠んだ句は非常に多く、以前本ブログでも有名な句を紹介したが、今回はそれとは違う句をいくつか掲載する。
 
    【朝顔の参考句】
     朝顔やすこしの間にて美しき       (椎本才麿)
     朝顔や濁り初めたる市の空        (杉田久女)
     朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ    (日野草城)
     朝顔の紺の彼方の月日かな        (石田波郷)
     朝顔の顔でふりむくブルドッグ       (こしのゆみこ)
 
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道の辺の残暑にゆるる玉簾

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■ 道の辺の残暑にゆるる玉簾
      ( みちのべの ざんしょにゆるる たますだれ )
 
イメージ 1わが散歩道のブロック塀沿いに今年も玉簾(たますだれ)の花が咲きだした。この花の名は、白い清楚な花を「玉」とし、地中から出る細い葉っぱの集まりを「簾」に見立ててつけられたそうだ。今の時期、見るからに涼しげに見える。

本日の掲句は、その様子を見て詠んだ句である。この花は夏の季語になっているので、中七に秋の季語「残暑」を入れ秋の句とした。実のところ、この花は、これから10月初旬ごろまで咲く。

余談だが、玉簾というと、大道芸の「南京玉簾(なんきんたますだれ)」を思い出す人も多いのではないだろうか。調べたところ、発祥は富山県で、同県の民謡こきりこ節に用いられる「ささら」が原型と言われている。

大道芸として現れたのは江戸時代で、本来は「唐人阿蘭陀南京無双玉すだれ」と称され、それが縮められて 南京玉簾」になったとのこと。どうも、明の大都市、南京にあやかって芸の価値を高める意図があったようだ。

話は元に戻って、玉簾に関しては、過去に一句だけ詠んでいる。

   涼しさをいざなう花か玉すだれ
 
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玉簾は、ヒガンバナ科タマスダレ(ゼフィランサス)属の球根草。原産地は南アメリカ。日本には明治初期に渡来し、日本の風土に適応して半野生化した。花期は7月下旬から10月初旬頃まで。花は6弁花で、1本の花茎に1つだけ咲く。日中咲いて夜には花弁を閉じる。
 
別名に「ゼフィランサス」「レインリリー」がある。また、似た花に、ピンクの花の「サフラン擬き(もどき)」、黄色い花の「黄花玉簾(きばなたますだれ)=ステルンベルギア」などがある。
 
尚、渡来してまだ新しいせいか、玉簾を詠んだ句はほとんどないので参考句は割愛する。
 
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この頃は黒白多き水引草

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■  この頃は黒白多き水引草
           ( このごろは くろしろおおき みずひきそう )
 
最近、散歩をしていると、時々見かけるのか水引草(みずひきそう)である。水引とは、祝儀袋などに付ける飾り紐のことだが、それに似た感じで花を咲かすので、その名が付けられた。

イメージ 4花は、赤、白の米粒半分ほどで、細く長い花穂に点々と並んで咲く。咲き初めはまばらで、花が咲いていても気づかないほどだが、茎全体に花が咲き揃い、茎が幾重にも重なりだすと、赤白の網の目のようになり、少し華やいだ感じになる。
 
その水引草が、今年もいつもの場所にたくさん咲いていた。それを見て、最近は赤白水引を使うことがほとんどなくなり、黒白水引を使うことが多くなったと詠んだのが掲句である。「水引草」は「水引」とも言い、秋の季語。

余談だが、「紅白水引」というと、正式には皇室の祝い事のみに用いられるもので、一般人が使うものは「赤白水引」というそうだ。だから、「紅白水引」というのは誤用だとのこと。もっともそんなこと気にする人はいないと思うが。

因みに水引草に関しては、過去に以下の句を詠んでいる。但し、③は「金水引」を詠んだもの。

    【関連句】
     ① 赤白の小花ゆかしき水引草
     ② 使うこと少なくなりて
水引草
     ③ お飾りもちょっと豪華に金水引

①は、花の姿をそのまま詠んだ句。②は、最近は祝い事がなく、紅白の水引を使うことが少なくなったと詠んだ句。本日の掲句を作る元になった。③は、黄色い花の「金水引」を詠んだもの。水引草とは科が違う植物だが水引という名前がつくので参考まで掲載した。(最後尾の写真参照)

イメージ 1
 
水引(草)は、タデ科ミズヒキ属の多年草。原産地は日本、中国、インドなど。花期は8月初旬から10月初旬。花は4弁で、上から見ると赤く見え、下から見ると白く見える。このことから祝儀袋の赤白の水引に見立て命名された。

    【水引(草)参考句】
     水引の花が暮るればともす庵    ( 村上鬼城) 
     かひなしや水引草の花ざかり     (正岡子規) 
     さかりとて寂かに照るや水引草   (渡辺水巴)
 *寂か(しずか)
     日の中の水引草は透けりけり    (室生犀星)
     水引草目が合ひて猫立停る     (石田波郷)
 
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●金水引
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花芙蓉饅頭のごと落ちてあり

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■ 花芙蓉饅頭のごと落ちてあり
        ( はなふよう まんじゅうのごと おちてあり )
 
イメージ 1まだ残暑は厳しいが、立秋以後、周囲は徐々に秋の花に変わりつつある。秋の代表的な花として、今特に目立つのは芙蓉(ふよう)で、白、ピンクの花を木全体につけ、爽やかな風を受け揺らいでいる。

そんな芙蓉を朝方みると、決まって木の下に、昨日咲いた花が丸くなって落ちている。それを少し離れて見ると、和菓子の小さな饅頭のように見える。本日の掲句は、そんな印象を詠んだ句である。花芙蓉は、秋の季語。

ところで、花の終わり方を見ていると、それぞれに個性があって面白い。それを大きく分類すると、以下の3つぐらいに整理できるのではないだろうか。

(1)花弁が一枚一枚分かれて散る 
    桜、薔薇、蓮、山茶花 など
(2)花弁を全部つけたまま丸ごと散る
    椿、凌霄花、木槿、芙蓉など
(3)花弁を枝(茎)に残したまま朽ちる 
    梔子、紫陽花など

芙蓉は、この(2)に分類されるが、散るというより落花と言った方が良いか知れない。例に挙げた花の落花を一言で形容するならば、椿は艶やかに、凌霄花(のうぜんかずら)は華やかに、木槿(むくげ)は慎ましやかに、そして芙蓉はふくよかにとなるのではないだろうか。

参考まで、それぞれの落花の様子を、かつて詠んだ句に写真を添えて再掲したい。
 
① 赤つばき落ちてゆるりと苔の上         ② 凌霄の雨に冷たき落花かな
 
イメージ 2イメージ 3 
③ 花びらを折りて散りぬる木槿かな   ④ 地に落ちし芙蓉の花のまろきかな
 
イメージ 4イメージ 5
                                                               
以上をご覧いただくと、落花にもいろいろ特徴があることが分かると思うが、花の盛りだけでなく、終わりにも何らかの風情を感じて頂ければ幸いである。
 
 
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888黄花コスモスに88

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■ 888黄花コスモスに88
    ( はちはちはち きばなこすもすに はちはち )
 
先週の土曜日は、少し気分を変えるために大阪の長居植物園へ初めて行ってきた。入口から入るとまず見えたのが大きな蓮池。蓮の花はほとんど散っていたが、その周りをゆっくり歩くと様々な秋の花に出会えた。本日紹介する黄花コスモスもその一つである。

イメージ 1黄花コスモスは家の近辺でもよく見る花で、それほど珍しくもないが、植物園の結構広い敷地に群生していた。せっかくだからと写真を撮り始めると、熊蜂が蜜を吸っているのが目についた。辺りを見渡すと、あちらにもこちらにも。

掲句は、その時の様子を詠んだ句である。蜂の姿が8に似ているので8=蜂として詠んでみた。書いた時の視覚的な効果を目指した試みの句である。黄花コスモスは季語になっていないが、一般のコスモスの関連で秋の季語として使用。

ところで、俳句を作る時の大事なポイントの一つに、声を出して読んだ時のリズムの良さが挙げられるが、文字で書いた時の雰囲気も時に注目される。例えば柔らかさを出すために敢えてひらがなだけにするとか、少し厳めしく漢字だけで詠むとか。

ただ、アラビア数字を画像的に使ったものはさすがに見たことがない。ひょっとしたら、この句は画期的な句ではないかと一瞬自画自賛したが、これが正式に認められることはまずないだろう。取りあえずは、遊びの句として残しておきたい。

因みに、黄花コスモスに関しては、過去に以下の句を詠んでいる。

     【関連句】
      ① 仲間よりワイルドが売り黄花コスモス
      ② 広沢の池しずやかに黄花コスモス

黄花コスモスは、色が濃いオレンジ色でやや派手な感じがし、葉も太くぎざぎざで、全体的に一般のコスモスよりもワイルドな感じがする。そんな印象を詠んだのが①である。丁度この頃「ワイルドだろ~」が流行ってた。②は、京都の広沢の池の岸辺に咲いている黄花コスモスを見て詠んだ句。風もなく池面は穏やかで、黄花コスモスだけが輝いて見えた。

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黄花コスモスは、キク科コスモス属の一年草。原産地はメキシコで、日本には大正時代の初めに渡来したとのこと。一般のコスモス(オオハルシャギク)とは同科同属だが別種で、背丈が低く、葉が大きめで切れ込みが粗い。花期の方は、6月から11月と長い。

参考句については、黄花コスモスを特定して詠んだ句は少ないので、一般のコスモスに関するものを掲載した。

    【コスモスの参考句】
     さきそめしよりコスモスの大和ぶり       (野田別天楼)
     コスモスの花あそびをる虚空かな       (高浜虚子)
     コスモスを離れし蝶に谿深し          (水原秋桜子)
     豹紋蝶黄のコスモスに群れ飛べり      (松崎鉄之介)
     コスモスの遠い記憶に停留所         (岡本眸)
 
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武士の禊の色か白桔梗

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■ 武士の禊の色か白桔梗
      ( もののふの みそぎのいろか しろききょう)
 
桔梗(ききょう)は秋の七草の一つで、秋の季語にもなっているが、6月終わりぐらいから咲き始める。花の色は紫色がほとんどだが、時折白い花を見る。花びらが綺麗に反り返り、混じりけのない白一色。その姿は何とも凛々しい感じがする。

イメージ 1さて、この姿を何に喩えるべきか考えていた時に、いつぞやNHKの「軍師官兵衛」で見た、備中国高松城主清水宗治の切腹の場面を思い出した。小舟に乗って秀吉の本陣まで漕ぎ、白装束で舞を踊った後、 「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」という辞世の句をしたため自害した。

この時の白装束が非常に印象的で、それが白桔梗と重なり、本日の掲句ができた。禊(みそぎ)とは、本来「 身に罪や穢れのある者が川や海の水でからだを洗い清めること」をいうが、ここでは、「死をもって責任をとる」という意味ととらえ、武士の禊=切腹として詠んだ。

ところで、この切腹だが、最初に行ったのは平安時代末期の武士である源為朝だと言われている。それは、敵に捕縛され、斬首されることを避けるための自決だった。それから時が流れ、切腹が名誉と見られるになったのは、上述の清水宗治の切腹以降だそうだ。切腹の際の宗治の態度や作法が見事だったため、秀吉が感服し、切腹が名誉ある行為という認識が広まったとのこと。

そして江戸時代には、複雑で洗練された儀式となり、介錯人がつく切腹の作法が確立された。但し、その後、切腹自体が形式化し、扇子や木刀に手を触れた時に介錯人が首を落とすようになったとのこと。いくら武士と言われても実際には作法通りできなかったそうだ。

明治に入ってからは、死刑執行方法としての切腹は廃止されたが、名誉ある自決だとする思想は残り、今も「死んでお詫びする」という日本の贖罪意識に影響を与えている。それにしても、凄まじい風習があったものだ。

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閑話休題。桔梗に関しては、これまで以下の句を詠んだことがある。

     【関連句】
      ① 桔梗のバルーン弾けて星一つ
      ② 端然と咲きて乱れぬ桔梗かな
      ③ 恙なく吉凶もなし桔梗かな

①は、蕾の時は花弁がつながっており、風船のように膨らんでから開花するのを見て詠んだもの。②は、色も形もそれほど派手ではないが、いつも端然として上品な感じがする桔梗の姿をを詠んだ。③は、日々の生活を穏やかで落ち着いた感じがする桔梗の花に掛けて詠んだもの。
 
参考句については、特に白桔梗を詠んだものを選んで掲載した。

      【白桔梗の参考句】
       銅瓶に白き桔梗をさゝれけり     (正岡子規)
       佛性は白き桔梗にこそあらめ     (夏目漱石)
       欠礼の筆こつと擱く白桔梗        (鷹羽狩行)
       白桔梗和紙のあかるさもて咲けり   (関洋子)
       おもかげや折目正しき白桔梗     (舩越美喜)
 
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悪なりに生きろとばかり悪茄子

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■ 悪なりに生きろとばかり悪茄子
                     ( わるなりに いきろとばかり わるなすび )
 
イメージ 1悪茄子(わるなすび)を初めて見たのは数年前のことで、鴨川の土手の一画で大量に群生しているのを見た。茄子に似た紫の花で、それが、悪茄子という名前であることは、帰宅後に図鑑で調べて知った。その時にとっさに詠んだのが以下の句である。

   悪茄子そんなに悪とは思えんが
              (わる)
しかし、いろいろ調べていくと、この植物は繁殖力が非常に強く、除草剤も効きにくい。しかも葉や茎に鋭い棘があるので、一度生えると駆除するのが大変だということが分かった。まさに農家や園芸家にとって大敵の植物だとのこと。名前も実はそこからきている。

ただ、当の悪茄子の方は、自分が「悪」と思われているなんて知る由もない。生きんがために、あるいは子孫を残すために、ここぞと思うところに根を張りどんどん増殖していく。

本日の掲句は、そんな悪茄子を先日行った長居植物園で見て詠んだ句である。園内では、整備員の方が懸命に雑草を駆除されていたが、そんなことはお構いなしに、あちらこちらで悪茄子は繁殖していた。

このことを、「悪なりに生きろ」というメッセージととらえるのは、いささか問題があるかも知れないが、たとえどんな境遇に置かれ、どう呼ばれようと、生きてこそ生きる意味があると捉えてみた。尚、悪茄子は季語になっていないが、茄子が夏の季語なのでそれに準じて使用。

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悪茄子は、ナス科ナス属の多年草。原産地は北アメリカ。日本には昭和時代に渡来し帰化した。花は白または淡青色でナスやジャガイモに似ている。花期は、6月~10月と長い。

果実は球形で黄色く熟しトマトに似ている。しかし、全草がソラニンを含み有毒であるため、家畜が食べると場合によっては中毒死することがあるそうだ。別名は鬼茄子(おになすび)。英語でも"Apple of Sodom"(ソドムのリンゴ)、"Devil's tomato" (悪魔のトマト)などという悪名で呼ばれているとのこと。
 
悪茄子で詠んだ句が少ないので、参考句は割愛する。
 
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