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Channel: 写真・俳句ブログ:犬の散歩道
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凌霄の雨に冷たき落花かな

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■ 凌霄の雨に冷たき落花かな 
                ( のうぜんの あめにつめたき らっかかな )
 
イメージ 3最近、家の壁、土塀などを伝って、あるいは他の木に巻きついて、オレンジ色の派手な花を咲かせている植物をよく見かける。名前は、凌霄花 (のうぜんかずら)という。
 
昨日、その花が、おりからの雨のせいで、沢山散っているの見た。この花はラッパ状の花で、椿のように花の形のままで散る。だから、散るというよりも落花と言った方が相応しいだろう。
 
掲句は、そんな情景に出会い詠んだ句である。中七は当初「冷たき雨の」としていたが、やや平坦に感じ、「雨に冷たき」として少し視線を落花に向けてみた。「のうぜんの花」は、「のうぜん花」「のうぜん」「凌霄花」などとともに、夏の季語。
 
因みに、のうぜんの花に関しては、これまで何句も詠んできたが、比較的にましなものを以下に掲載する。
 
 
    【関連句】
     ① 名は似れど映画にゃならぬ のうぜんかずら
     ② のうぜん花 嬉々として咲き楚々と散る
     ③ 華麗なるシャンデリアかな凌霄花
     ④ 街角の華燭の花よ凌霄花
 
①は、「のうぜんかずら」が、映画にもなった「あいぜんかつら(愛染かつら」と語呂が似ていると思い詠んだ句。②は、花の咲きっぷりが派手で、散る時は花のままそっと散るのを見て詠んだ句。③は、花の咲く様子をシャンデリアに、④は華燭(燭台の灯)に喩えて詠んだ句。
 
イメージ 1
 
凌霄花は、ノウゼンカズラ科ノウゼンカズラ属の落葉つる性落葉樹。中国原産で平安時代に渡来したといわれている。花期は6月~9月。ラッパ状で橙色の花で、花弁の先が5ツに不規則に裂けている。
 
名前の「のうぜん」は、漢名の「凌霄」の読み「のうせう、のせう」が「のうぜん」に転訛したもの。「かずら」は、蔓性の植物を表す。漢名については、「凌」には「しのぐ」の意味が、「霄」には「遥かかなた空の果て」の意味があり、空に向かって高く咲く花ということでつけられたとのこと。
 
    【凌霄花(のうぜん花)の参考句】
     家毎に凌霄咲ける温泉かな       (正岡子規)  
*温泉(いでゆ)
     凌霄花の朱に散り浮く草むらに     (杉田久女)
     凌霄や長者のあとのやれ築土     (芥川龍之介)
     凌霄花落ちてかかるや松の上     (山口青邨)
     凌霄花したたか浴びし朝雫        (能村登四郎)
 
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半夏雨そぞろに白き半化粧

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■ 半夏雨そぞろに白き半化粧
       ( はんげあめ そぞろにしろき はんげしょう )
 
本日の掲句は、言葉の意味を知らないと分からない句なので、先にその説明をしたい。

イメージ 1まず、上五の「半夏雨(はんげあめ)」だが、これは、「半夏生(はんげしょう)」の頃に降る雨のこと。「半夏生」とは、二十四節気(にじゅうしせっき)をさらに約5日ずつの3つに分けた「七十二候(しちじゅうにこう)」の一つで、夏至(げし)から数えて11日目の暦日をいう。今年は、7月2日がその日にあたるそうだ。

この日は、農家にとって大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もあるそうだ。また、この日は天から毒気が降るとも言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないという言い伝えもあるとのこと。

次に下五の「半化粧(はんげしょう)」だが、この頃に咲く花で「半夏生」と名づけられた草花(写真)があり、その別称として使われている。葉っぱの一部と花穂が、スプレーで白い塗料を中途半端に吹き付けたような感じなので、この名前が付けられたと言われている。

以上のことを知った上で、掲句に戻るが、この句は、先週行った植物園でその半夏生=半化粧を見て詠んだ句である。おりしも、小雨が降っていたので掲句となった。「半夏雨」「半化粧」はともに夏の季語で、季重なりとなるが、備忘のために敢えてこのように作成した。
 
尚、中七の「そぞろ」は「漫ろ」と書き、「漫ろ心」「漫ろ雨」「漫ろ歩き」などに使われ、何となく落ち着かない、とりとめもないさまを示す。
 
イメージ 2
 
半夏生は、ドクダミ科ハンゲショウ属の多年草。花は、地味な穂状の白い花で、花期は6月から8月だが、この時期、上部の葉の表面が白く変色する。このため「半化粧」の他に、「片白草(かたしろぐさ)」とも呼ばれる。
 
また、葉が白くなるのは、あまり目立たない花の代わりに虫を誘うためであるとも言われ、花期が終わると葉色は元の緑色になる。
 
参考句については、時候の半夏生か、植物の半夏生(半化粧)か分からないものがあるが、特に区別せず掲載した。どれを詠んだものかは、句を読んで想像していただきたい。
 
   【半夏生(半化粧)の参考句】
    森見れば雨の條見え半夏生       (林翔) *條(すぢ)
    使はねば知恵も古りゆく半夏生    (鷹羽狩行)
    まだ白の曖昧にして半夏生       (稲畑汀子)
    屋上の緑が盛ん半夏生          (能村研三)
    衿元の白き舞妓や半夏生         (塚本みのる)
 
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向日葵やみんな揃うて東向き

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■ 向日葵やみんな揃うて東向き
                      (ひまわりや みんなそろうて ひがしむき)
 
先日行った京都の植物園では、向日葵(ひまわり)が最盛期を迎えていた。向日葵は、その名にもあるように、太陽の日差しを浴びている姿が最も様.になる。しかし、当日は朝から生憎の曇り空で、大きな花が揃って東の空を向いているのが印象的だった。本日の掲句は、そんな情景を詠んだ句である。向日葵は、夏の季語。

イメージ 1ところで、この句を何の説明もなく読むと、その背景が分からなくて少し戸惑うかもしれない。例えば空は晴れていたのか、曇っていたのかなど。そこは、使える文字数が少ないので、読者の方で適当に想像して欲しいと言い訳が成り立つのが、俳句の面白さであり、狡さでもある。

しかし、短歌の場合は、17文字の他に14文字もある。だから文字数が少ないのでという言い訳は通用しない。もう少し丁寧に情景や心情を詠み込まなければならない。仮に、掲句を上の句とすれば、下の句はどうなるか。試みに、曇天、晴天に分けて考えてみた。
 
(曇天の場合)
 厚き雲間の日に焦がれつつ
(晴天の場合)
 暑き日差しに身を焦がしつつ
 
短歌は全く作らないので、これで良いのかどうか分からないが、14文字でかなり具体的な状況が描けることは間違いない。このことは、ある面で大変結構なことなのだが、俳句を作る者としては少々煩わしく面倒にも感じる。いずれにしろ、短歌と俳句は、非常に関連が深いので、おいおいとその違いを勉強していく必要があるだろう。

話は元に戻るが、向日葵については、過去に以下の句を詠んでいる。

    【関連句】
     ① 向日葵は大昔より太陽光
     ② 太陽に向かえばひまわり王の如し
     ③ 一本の向日葵少しうつむきに
 
①は、東日本大震災の後、原発に代わるものとして話題になった太陽光エネルギーにかけて詠んだ句。②は、太陽に向かって堂々と咲いている花の姿を詠んだもの。下五の「王の如し」は、中村草田男の「手の薔薇に蜂来れば我王の如し 」より引用。③は、晩夏の暮れに、少し俯き加減に咲いている向日葵を見て詠んだもの。いつも元気な向日葵が少し悲しげに見えた。

イメージ 2
 
向日葵は、キク科ヒマワリ属の一年草。原産地は北アメリカ。16世紀にイギリスに伝わり「太陽の花」と呼ばれ、日本には17世紀に伝来したそうだ。花期は、7月~9月。

名前は、太陽の動きにつれて花が回るということからついたそうだが、この動きは生長が盛んな若い時期だけだそうだ。そして、朝に咲き始めた花は東向き、夕方に咲き始めたものは西向きとなり、その後向きが変わることはないとのこと。(当方、まだ実際に確認していない。)
 
    【向日葵の参考句】
     日天やくらくらすなる大向日葵     (臼田亞浪)
     向日葵もなべて影もつ月夜かな    (渡辺水巴)
     日を追はぬ大向日葵となりにけり   (竹下しづの女)
     向日葵の空かがやけり波の群     (水原秋桜子)
     向日葵や子に反骨の喉ぼとけ     (石川笙児)
 
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荒土手に姫檜扇水仙の雅かな

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■ 荒土手に姫檜扇水仙の雅かな
         ( あらどてに ひめひおうぎずいせんの みやびかな )
 
毎年のことだが、この時期、道端、川縁、野原などで、長い花穂に濃い朱色の花をつけた草花をよく見かける。この時期、朱色の花をつける草は少ないので、非常に際立って見える。名前は姫檜扇水仙(ひめひおうぎずいせん)という。
 
イメージ 1本日の掲句は、その花が、ある川べりの土手に咲いているのを見て詠んだ句である。緑の夏草などに覆われているところに、鮮やか色が映え、ひときわ艶やかだった。そのことを、下五では名前に合わせて雅(みやび)と表現した。尚、姫檜扇水仙は季語になっていないが、夏の季語に準じて使用した。
 
ところで、姫檜扇水仙という名前は、音数で10音と長い。そのせいか、句に詠まれることはあまりなく、ネットで調べてもほとんど見つからなかった。同じ花なのに、名前が長いので見向きもされないというのは、如何にも不公平である。
 
そんな考えもあり、自分としては、7音を超えるような長い花の名前でも、できるだけ句に詠むようにしている。どうするかというと、まず句またがりで対応できないかを考え、できない場合は、上五、中七、下五のどこかの音節で思い切り字余りにする。*句またがり:一つの言葉が音節間をまたがること。
 
字余りはできるだけ中七を避けるべきという人もいるが、句の調子に問題がなければ、どこでも構わないと思う。掲句の場合は、中七を11音にしているが、上五、下五がそれぞれ定型の5音なので、それほど乱れた感じになっていないと思う。
 
尚、こういう考え方は、当方の自己流のものであり、通常の結社や句会ではほとんど許容されないと思う。従って、取りあえずは、自分や仲間内で詠むぐらいにとどめておく方が無難だろう。
 
因みに、姫檜扇水仙に関しては、過去にもいくつか句を詠んでいる。
 
    【関連句】
     ① あらとうと姫檜扇水仙野辺に咲き
     ② 汚れなき巫女の如くに姫檜扇水仙
 
①は、「姫」「檜扇」「水仙」という名前とその花姿に貴きものを感じ詠んだ句。上五の「あらとうと」は、松尾芭蕉の「あらたふと青葉若葉の日の光」からの借用。②は、花の朱色を巫女の袴に重ねて詠んだ句。その喩えは、当たらずも遠からずと今も思っている。
 
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姫檜扇水仙は、アヤメ科モントブレチア属の多年草。南アフリカ地方原産。明治期に園芸植物として渡来し、その後野生化したとのこと。花期は7月~8月。別名では、「モントブレチア」「クロコスミア」 などがある。
 
尚、この花の名前でやっかいなのは、「檜扇水仙」「姫檜扇」「檜扇」という名前の草が別々にあるということである。だから、名前のどこかを省略し、短縮して呼称することができない。
 
参考句については、既述の通り、本花を詠んだ句がほとんどないので割愛する。
 
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むれ咲くも凛々し紫君子蘭

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■ むれ咲くも凛々し紫君子蘭
                 ( むれさくも りりし むらさき くんしらん )
 
今年も川べりの遊歩道沿いに、「紫君子蘭(むらさきくんしらん)」(別名アガパンサス)の花が群がって咲いた。この花、長く伸びた茎の先に紫の小花を20個ほどつけて咲く。すらっとした感じで、その名の通り、頼もしく凛々しい感じがする。
イメージ 3
本日の掲句は、そんな花の印象を詠んだ句である。尚、紫君子蘭は昨日の姫檜扇水仙と同様、名前が長いせいか季語になっていない。ただ、明らかに夏のこの時期に咲くので、本句では夏の季語に準じて使用した。因みに紫のつかない君子蘭は春の季語になっているが、紫君子蘭とは全く別種の植物である。

ところで、紫君子蘭という名前だが、植物の醸し出す雰囲気を上手く捉えた、大変良い名前だと思う。ただ、こういう名前の花は、句に詠もうとすると、どうしてもその名前に囚われる。これまで詠んだ以下の句もその例に漏れない。

 【関連句】
① 危うきに近づきたもう紫君子蘭
② 川べりに気高く紫君子蘭

①は、花の名にある「君子」から、「君子危うきに近寄らず」の成句を思い出し、その連想で作った句である。②は、川べりに咲いた紫君子蘭の気高い印象を名前にかけて詠んだもの。

このように植物の名前を活かした句は、決して否定されるべきではないと思うが、少しその名の束縛から逃れたいと思う場合は、アガパンサスなどの別名を使うのが良いかもしれない。いずれにしろ何らかの工夫は必要だろう。

イメージ 1
 
紫君子蘭は、ユリ科アガパンサス属(ヒガンバナ科に分類するものもある)の多年草。原産地は南アフリカで、日本には、明治の中頃に渡来したそうだ。園芸品種も多く、花の色としては、濃紫色や淡青色、白色などがある。花期は6月~7月。

英名はアガパンサスAgapanthusというが、「agapa」は愛らしい、「anthos」は花で、「愛らしい花」の意。アフリカンリリーともいう。
 
尚、紫君子蘭、アガパンサスを詠んだ句は少ないので、今回も参考句は割愛する。
 
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透けるとはシースルーとも蓮の花

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■ 透けるとはシースルーとも蓮の花 
                               ( すけるとは しーするーとも はすのはな )
 
投句する俳句の在庫が少なくなってくると、いつも行くのが京都の植物園で、先週土曜日も行ってきた。最近は1~2週間に1回は行っているが、行くたびに咲いている花や姿が変化し、いつも新しい発見がある。

イメージ 1今回、特に見たいと思ったのは蓮の花。2週間ほど前から咲きだしているのだが、句が一つも詠めてない。こういうメジャーな花は、詠まれた句が非常に多く、新しく詠むのがかえって難しい。どう詠んでも陳腐に思えてくる。

それでも一句ぐらいは詠もうと思い、最初に詠んだのが以下の句。

  雨上がり仄かに透ける蓮の花

これも一句だが、何となく平凡に感じ、「透ける」に変わる言葉がないか少し考えた。ふと、「シースルー」という言葉が思い浮かび、それを中七に入れて詠んだのが本日の掲句である。

シースルーと蓮の花の配合が適切か、意味が通じるかどうか、何度か声出して読んでみたが、辛うじてOKと思い投句することにした。句意は敢えて言わないが、以下の説明も読んで適当に考えて頂きたい。蓮の花は夏の季語。

シースルーとは、ファッショう用語のシースルー・ルックとして知られた言葉。今はどうなっているのか知らないが、「透け透けルック」ということで、60年代後半に一時センセーションを巻き起こした。まだ若かりし頃だったので、どきどきしたことを思い出す。

因みに、蓮の花の句は意外と詠んでなく、過去に以下の句を詠んだに過ぎない。

     濁りなき蓮にピンクのグラデーション

この句は、白から濃いピンク色へと色調を変える花姿に、得も言われぬ清らかさを感じて詠んだ句である。

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蓮は、ハス科ハス属の多年性水生植物で、原産地はインド。(エジプト、中国という説もある。)花は早朝に咲き昼には閉じる。花期は7月~8月。現在は、様々な品種があるが、大きくは紅色・白色の花を咲かせる東洋産種と、黄色の花を咲かせるアメリカ産種の2種類に分かれるそうだ。

仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が、仏の智慧や慈悲の象徴だとされる。また、「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という、日本人にも馴染みの深い中国の成句がある。

    【蓮の花の参考句】
     鯉鮒のこの世の池や蓮の花      (森川許六)
     蓮の花咲くや淋しき停車場       (正岡子規) 
     黎明の雨はらはらと蓮の花     (高浜虚子) 
     天竺に女人あまたや蓮の花     (芥川龍之介) 
     舟道の桑名は蓮の花ざかり     (長谷川櫂) 
 
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やけっぱち起こすな屁糞蔓かな

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■ やけっぱち起こすな屁糞蔓かな
                         ( やけっぱち おこすな へくそかずらかな )
 
知らない植物の名前を調べていくと、時々面白い名前に出合う。その中で特に酷い名前だと思ったのは、今日紹介する「屁糞蔓(へくそかずら)。酷い名前の植物は他にもいくつかあるが、これが東の横綱で、大犬の陰嚢(おおいぬのふぐり)が西の横綱といえるだろう。

イメージ 1その屁糞蔓が、7月中頃から咲きだし、今方々で見られる。本日の掲句は、その花を見て詠んだ句だが、よく腹が立った時や悔しい時に「くそっ」と呟くことを思い出して句にした。また、酷い名前が付けられた屁糞蔓に呼びかけた句でもある。屁糞蔓は灸花(やいとばな)ともいい、歴とした夏の季語になっている。

ところで、なぜこの名前がつけられたのかというと、その名の通り、酷い臭いがするからだそうだ。そこで、花や葉、茎などを摘み取り、揉んで何度も臭いを嗅いで見たのだが、普通の草の臭いがするだけで、それほど臭いとは思えない。

念のためネットで調べると、同じように臭さは感じなかったという記事がいくつもあった。ただその一方で、草を刈り取る時に、銀杏(ぎんなん)の実の腐った臭い、あるいはスカンクのおならの様な臭いだったという記事もあった。

因みに、屁糞蔓(灸花)に関しては、過去にも何句か詠んでいる。

   【関連句】
    ① 可愛くも屁糞蔓じゃ恥かしい
    ② 電飾のごとく光るは灸花 
    ③ 案外と屁糞蔓も艶めかし    
*艶めかし(なまめかし)

①は、この名前を初めて知って、可哀想な名前だなと同情して詠んだ句。②は、この花が他の草花の枝葉を伝って咲いている姿をクリスマスツリーなどの電飾に喩えて詠んだ句。ここでは電飾の絡みで別名の灸花を使った。③は、名前は酷いがしっかり見ると艶めかしいと詠んだ句。不思議なもので、酷い名前も慣れてくると、あまり気にならなくなる。

イメージ 2
 
屁糞蔓は、アカネ科ヘクソカズラ属の多年草。東南アジア、東アジアが原産地。花は、先が浅く5裂して平開した細長い鐘形の合弁花。花期は7月~9月。花言葉が「人嫌い」「誤解を解きたい」であるというのは頷ける。

尚、「屁糞蔓」には、別名として他に「早乙女花(さおとめばな)」がある。非常に上品な良い名前なのだが、「屁糞蔓」があまりにもインパクトが強いためか、この名で詠んだ句はほとんどない。

    【屁糞蔓、灸花の参考句】
     名をへくそかづらとぞいふ花盛り     (高浜虚子)
     野の仏へくそかずらを着飾りて      (石田あき子)
     雨の中日がさしてきし灸花          (清崎敏郎)
     表札にへくそかづらの来て咲ける     (飴山寛)
     灸花無数に咲けば疎まるる         (檜紀代)
*疎む(うとむ)
 
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梅雨晴れ間レース衣着る茸見ゆ

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■ 梅雨晴れ間レース衣着る茸見ゆ
            ( つゆはれま れーすきぬきる きのこみゆ )
 
先日行った植物園の竹笹園で、レースの衣を纏うように生えている珍しい茸(きのこ)を見た。(写真参照)名前は、衣笠茸(きぬがたけ)と言うそうだ。本日の掲句は、それを見て詠んだ句である。
 
イメージ 1通常「茸」と言えば、秋の季語なので、掲句では、上五に夏の季語「梅雨晴れ間」をおいた。尚、夏の梅雨時に生える茸を特に「梅雨茸(つゆだけ、つゆきのこ)」と言い、夏の季語となっている。掲句では使わなかったが、衣笠茸もその一種と見て良いだろう。
 
ところで、「何々を見た」とか「何々が咲いた」という句は、説明俳句、日記俳句と言われ、良くない句の見本と言われている。掲句もその類のものであるが、私見では、ある種の感動が含まれていれば良いのであって、一概に否定されるべきでないと思っている。
 
掲句であれば、レースの衣を着たような茸そのものに珍しさがあり、梅雨の晴れ間の清涼感を感じた。すなわち、自分が良いと思うことが第一であり、他人が読んでどう思うかは、あまり気にしない。
 
勿論、どこかで選句を狙うのであれば、共感が得られるように詠む必要があるが、いつ何時でも修正できるのが俳句の手軽さであり、良さである。初めから「名句」を狙う必要など全くなく、まずは報告であろうが何であろうが、気軽に詠むことが大切だと思う。
 
衣笠茸は、スッポンタケ科キヌガサタケ属の茸(菌)類で梅雨時及び秋の竹林で多く見られる。非常に成長が早く、一日のうちで子実体(茸の本体)が伸びあがり、レース状のものも直ぐに萎れる。見られるのは朝の3時間ぐらいだそうだ。
 
レース状の白い部分は地面まで達することもあり、その美しさから「茸の女王」とも呼ばれるているとのこと。また、中華料理では、フカヒレ、燕の巣と並ぶ高級食材で、スープの具材にもなるそうだ。
 
イメージ 2
 
参考句については、衣笠茸を直接詠んだもの2句と梅雨茸を詠んだもの3句を掲載する。
 
    【梅雨茸の参考句】
     衣笠茸竹落葉降り鳥語降る         (三嶋隆英)
     天網と衣笠茸の網目かな          (延広禎一)
     梅雨茸の人にも見せて捨てらるる   (後藤夜半)
     梅雨茸や勤辞めては妻子飢ゆ      (安住敦)
     梅雨茸や天下にはかに動きたる    (有馬朗人)
 
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木漏れ日の欅並木や初の蝉

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■ 木漏れ日の欅並木や初の蝉
                ( こもれびの けやきなみきや はつのせみ )
 
1週間ほど前から蝉が鳴き出した。今年初めて聞いたのは、京都の植物園前の欅(けやき)並木。例年、この並木では蝉がたくさん羽化し、初秋頃まで連日かしましい。蝉が鳴き出すと、いよいよ夏本番といった感じがしてくる。

イメージ 1本日の掲句は、そんな初蝉(はつぜみ)の様子を詠んだ句である。ただ、下五で初蝉の意味で使った「初の蝉」については、その用例がほとんどなく、季語としては認められていないようだ。そのため、詠み直すことも考えたが、意味は通じるのでとりあえずは残すこととした。*初蝉:その年に初めて聞く蝉の声

尚、こういう句は、他では認められない可能性があるので、「初の蝉」の用例が出て季語として認められるまでは、手元においておくしかないだろう。

ついでながら、季語に関連していえば、「初蝉」のような4音の季語には、いつも悩まされる。上五に使用する場合は、「初蝉や」「初蝉の」など使い勝手が良いのだが、下五においてはほとんど使えない。

だから、後掲の参考句の通り、「初蝉」は大抵上五で使われる。このことは、句の形が季語の音数により縛られるということを意味し、おかしいと思うのだが、何百年も変わらないようだ。

こうした季語の音数による制約は、4音に限らず他にも多々ある。季語を変形して使用する例もあるが、どこまで許容して良いかは、今後研究する必要があるだろう。勿論、無季自由律という考え方はあるが、それには別の問題がある。現時点では有季定型の範囲で考えたい。

話は少し横道にそれたが、初蝉に関して言えば、やはり「初の蝉」で以下の句を詠んだことがある。

     梅雨明けの宣言なるか初の蝉  

例年、梅雨明け宣言の前後に、その年の初蝉が聞かれるが、この年は梅雨明け宣言前に聞いた。今年も、もうそろそろ宣言があっていいはずだが。

イメージ 2
 
蝉は、卵→幼虫→成虫という不完全変態(蛹:さなぎを経ない)をする昆虫である。幼虫として地下生活する期間が長く、3~17年(アブラゼミは6年)に達するそうだ。成虫期間は僅か1~2週間。

鳴くのはオスの成虫で、腹腔内に音を出す発音筋と発音膜、音を大きくする共鳴室、腹弁などの発音器官が発達しており、懸命に鳴いてメスを呼び命をつなぐ。そして、ついには落蝉となって一生を終える。

    【初蝉の参考句】
     初蝉の声ひきたらぬ夕日哉       (正岡子規)          
     初蝉や老木の桑に鳴きいでて      (水原秋桜子)
     初蝉のにいにいが鳴き朝曇       (篠田悌二郎)
     初蝉の清水坂をのぼりけり        (日野草城)
     初蝉や水面を雲のうつりつつ      (桂信子)
 
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人いきれ揺るる山鉾蝉しぐれ

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■ 人いきれ揺るる山鉾蝉しぐれ
                   ( ひといきれ ゆるるやまぼこ せみしぐれ )
 
昨日は、日本三大祭の一つである祇園祭の山鉾巡行(やまほこじゅんこう)が行われた。今年は49年ぶりに、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)に別れて実施され、前祭では、33基ある山鉾の内23基が巡行した。

イメージ 1山鉾は、午前9時に先頭の長刀鉾(なぎなたほこ)が四条烏丸を出発し、午前中に四条通から河原町通を北上し、御池通より各町へと巡行する。今年も先頭の長刀鉾が到着するのを見計らって10時過ぎに、市役所前の交差点に行った。

本日の掲句は、その時の情景を詠んだものだある。上五の「人いきれ」という言葉は、聞きなれない言葉と思うが、「多くの人が集まっていて、体から出る熱気や臭いでむんむんすること」を言い、夏の季語となっている。漢字では「人熱きれ」と書く。似た言葉に「草熱きれ」があるが、これは「草が夏の強い日差しを受け、熱気でむんむんすること」をいう。

ところで、掲句では中七に「山鉾」、下五に「蝉しぐれ」を使ったが、これらは何れも夏の季語。ということは季語3つの季重なりの句となる。季重なりはできるだけ回避すべきで、特に3つ以上はだめと言われているが、沿道の暑苦しい状況をそのまま表現するために試みに詠んでみた。

勿論、もう少し工夫できないかとあれこれ考え、まずは、上五の「人いきれ」を取り、以下のように変えてみた。

     ぎしぎしと揺るる山鉾蝉しぐれ

こうすれば、季語は二つになり、ぎしぎしという山鉾の音と蝉しぐれの音が共鳴した感じになる。但し、沿道が人で埋め尽くされている状況は捨象された。次に、下五の「蝉しぐれ」を取って、

     ぎしぎしと山鉾揺るるビルの谷戸

とすれば、季語一つで、結構落ち着いた感じになる。本来ならこの句を取るべきなのだろうが、この句からは人の喧騒や蝉しぐれのが姦しさは伝わってこない。*谷戸(やと):丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形

以上3句並べてみたが、自分としては、一応それなりの句にはなっていると思う。しかし、どれをとるかは、最終的にその時の気分次第だろう。今回は、人があふれていて暑苦しい、そんな印象を忠実に表現したいと思い掲句をとった。勿論、巡行にはいつも感激するのだが。

イメージ 2
 
因みに、これまでにも山鉾巡行については何句か詠んでいる。

    【関連句】
     ① 白南風が山鉾揺らすビルの谷
     ② 山鉾やきしむ車輪に重みあり
     ③ 力こむ扇の先や辻回し

①は、ビルの谷間で風に揺れる山鉾の様子を詠んだ。②は山鉾の車輪の軋みに重みを感じて詠んだもの。山鉾の重さは10トン超になるとのことだが、その重みと歴史の重みを重ねて詠んでみた。③は、辻回しの時の音頭取りの所作に注目して詠んだ句。扇子の動きが面白い。
 
    【祇園祭山鉾巡行の参考句】
     長刀鉾刃に空を截りすすむ         (山口誓子)
     舟鉾の螺鈿の梶があらはれぬ       (平畑静塔)
     月鉾のきしみに古都がよみがえり     (嶋津菊正)
     祇園囃子人の流れに鉾が行く        (成川胡藤子)
     青竹のきしむ音聞く辻まわし         (鈴木静子)
 
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山百合や山路に咲かば殊ならん

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■ 山百合や山路に咲かば殊ならん
                              ( やまゆりや やまじにさかば ことならん )

今、様々な百合の花が咲いている。その種類の多さには驚くが、中でも目立つのが山百合(やまゆり)である。その大きさや風貌から「ユリの王様」とも呼ばれているそうだ。

イメージ 1その山百合を先日行った京都府立植物園で見た。場所は、日本各地の山野に自生する植物などを生態的にできるだけ自然に近い状態で植栽しているという植物生態園。
 
本日の掲句は、その時に感じたことを詠んだものである。この目の前の山百合も、本当の山路に咲いていたなら、また格別だろうというのがその句意である。山百合は、他の百合と同様、夏の季語。
*殊なり(ことなり):特にすぐれている。格別である。

ところで、俳句では古語を使うことが多いが、厄介なのが文法である。中学、高校で習ったきりなので、辞書や文法書などで確かめながら使っているが、時々迷うのが口語とは違う、接続助詞の「ば」の使い方である。

ご承知かも知れないが、この使い方は、大きく以下の二つに別れる。

(1)順接の仮定条件
  「もし~ならば」の意で動詞や形容詞などの未然形に接続する。
(2)順接の確定条件
  「すでに~だから ~ので」「~する ~していると」などの意で形容詞などの已然形に接続する。

掲句の「咲かば」は、「咲く」の未然形+「ば」で上記(1)に該当し、「もし咲くならば」の意になる。これを、「咲く」の已然形+「ば」で「咲けば」と言えば、「すでに咲いているので」という意になり、実際に山路で山百合を見た句になる。
 
以上備忘録的に、接続助詞「ば」の使い方に関し記載したが、もとより文法に関しては専門家ではないので、間違いがあれば、ぜひご指摘いだだきい。
 
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因みに、百合に関しては、過去に何句も詠んでいるが、その中で比較的ましなものを以下に掲載する。

    【関連句】
     ① 見返ればすらりと白き百合の花
     ② 楚々として鉄砲百合とは勇ましき
     ③ 鬼百合が熟女に変わる逢魔時

①は、菱川師宣の「見返り美人」にヒントを得て詠んだ句。この場合、見返ったのは美人に喩えられる百合ではなく、うっかり通り過ぎようとした自分。②は、非常に清楚な感じがする花の姿と名前にある鉄砲との対比が面白くて詠んだ句。③は、鬼百合という奇異な名前と逢魔時(おうまどき)の怪しげな雰囲気を結びつけて作ったイメージの句。

    【山百合の参考句】
     下闇にたゞ山百合の白さかな        (正岡子規)
     夕風に山百合の皆動くこと         (高浜虚子)
     夕月に山百合は香を争はず        (飯田龍太)
     あれは山百合いま絶対に匂っている    (池田澄子)
     山百合や旅の一座のふれ太鼓       (池上守人)
 
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暑すぎてペンキ浴びたか斑入りの青木

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■ 暑すぎてペンキ浴びたか斑入りの青木
                                    ( あつすぎて ぺんきあびたか ふいりのあおき )
 
近辺の植物でも、毎日見ていると、時々面白いことに気付くことがある。今日紹介する「斑入り青木(ふいりあおき)」もその一つで、その葉をよくみると、緑の葉っぱにに黄色のペンキが掛けられたような感じに見える。(写真参照)

イメージ 3そのことに気が付いたのは、実は数年前のことで、その時は、以下のように句を詠んだ。

ペンキでもぶっかけられたか斑入り青木

ただ、この句には季語がないので、今回上五に夏の季語「暑し」の変形の「暑すぎ」をいれ、掲句のように改作した。尚、青木の花は春の季語で、青木の実は冬の季語だが、単独では季語にならない。

ところで、「ペンキ」をいれた有名な句に以下の句がある。

  青蛙おのれもペンキぬりたてか

芥川龍之介の句で、上句を詠んだ後にこの句を知った。かの芥川もこんな句を詠んでいる。しかも名句と言われている。といういうことは、我句も名句ではなかろうかと一瞬思ったのだが、冷静に考えるとどうも違うようだ。

まず、素材の「青蛙」と「斑入青木」は知名度が違う。しかも「青蛙」は歴とした夏の季語である。次に芥川の句は「青蛙」と「ペンキ」の取り合わせが抜群で、緑のペンキが蛙の全身に塗られ、ぬるぬる光っている感じがいかにも美しい。しかし、我句の場合、緑の葉に黄色いペンキが雑然とかけられ、美しさは伝わってこない。

更に言えば、「おのれも」の「も」に龍之介の何かしら深いメッセージが込められているが、我句には面白さ意外には何のメッセージも込められていない。ということは、龍之介の句と我句の共通点は「ペンキ」だけということになるが、たとえ着想だけでも合っていたので自分なりに可とした。

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斑入り青木は、わが国の本州から四国・九州、それに朝鮮半島に分布する青木の園芸品種。長楕円形の葉に黄色い斑が入るのが特徴。日陰でもよく育つので、庭や公園に植栽される。青木そのものは、ミズキ科アオキ属の常緑低木で日本原産。

斑入り植物は青木の他にも多く見られ、日本では錦葉と称され珍重されてきている。模様の形状からは覆輪、中斑、縞、散り斑、刷毛込みなどと区別されるそうだが、斑入り青木の斑は、この内の散り斑にあたるそうだ。

尚、斑入りとは、葉や組織の細胞内に含まれている葉緑素の全てあ るいは一部が失われる現象で、必ずしも正常な状態ではないようだ。ややこしいので今回はこれ以上は踏み込まない。
 
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白花は雪のごときや猿滑り

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■ 白花は雪のごときや猿滑り
               ( しろばなは ゆきのごときや さるすべり )
 
今、近くの住宅街を歩くと塀越しにサルスベリの花をよく見かける。この花の漢名は「百日紅」といって、百日間、紅の花をつけるということから、この名が付けられたといわれている。これを「さるすべり」「ひゃくじつこう」と読む。

イメージ 1ところが、同じサルスベリでも、白色の花をつけるものも最近は良く見かける。それを、白百日紅(しろさるすべり)ということもあるが、色が混乱するせいか、「百日白」という呼称もあるそうだ。読み方は「ひゃくじつはく」。

このように、漢名は、花の姿や咲き方を見てつけられ、それなりに風情があるが、和名の「さるすべり」の方はやや趣が違う。幹がすべすべして、猿でも滑って登れないだろうという意味でつけられたとのこと。漢字では「猿滑(り)」とも書くが、風情があるというよりも些か滑稽である。

本日の掲句は、白いさるすべりの花を雪に見立て、名前にかけて作った戯れ句である。「猿滑り」は、「百日紅」「百日白」とともに夏の季語。

この花に関しては、これまで何句も詠んでいるが、その名にある「さる=猿」に関連させて詠んだ句を以下に掲載する。尚、「百日紅」はいずれも「さるすべり」と読む。

    【関連句】
     ① 猿とても触ってみたし百日紅
     ② 言わざるも言うてしもうた百日紅
     ③ 山猿は何度泣いたか百日紅

①は、柔らかく愛らしいフリルのような紅の花弁は、猿とても触ってみたいだろうと詠んだもの。②は、言わないでおこうと思っていたことを、つい口を滑らして言ってしまったと、「さるすべり」の花を見ながら悔やんでいる句である。③は、田舎から出てきた山猿(かつての自分?)が、就活に明け暮れた日々を思い起こし、何回試験にすべって泣いたことかと感慨深く詠んだ句である。
 
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百日紅(猿滑)は、ミソハギ科サルスベリ属の落葉中高木。中国原産。花期は、7月から10月頃と長く、秋の終わり頃でも平気で咲いている。花色には、白、薄紅(ピンク)、真紅などがある。
 
    【猿滑(り)、百日紅の参考句】
     きらきらと照るや野寺の百日紅    (正岡子規) 
     百日紅百日白と大雨中         (星野立子) 
     百日紅この叔父死せば来ぬ家か    (
大野林火)
     百日紅燃え白雲は峰をなす        (林翔)
     遠ざかるほどあきらかに百日紅    (鷹羽狩行)
 
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かんばせも大きアメリカ芙蓉かな

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■ かんばせも大きアメリカ芙蓉かな
                          ( かんばせも おおき あめりか ふようかな )
 
今頃咲く花の中で特に大きい花と言えば、ハイビスカスなどを思い浮かべるが、それよりも一回り大きい花にアメリカ芙蓉(ふよう)がある。イメージ 3花の大きさは直径20cm。大きいものは30cmにも及ぶという。通常の芙蓉は、最大で15cm程だからいかに大きいか容易に想像できる。

本日の掲句は、先日植物園で、その花を見て詠んだもの。上五にある「かんばせ」は、普段あまり使われないが、漢字で「顔」と書き、顔つき、容貌のことを言う。尚、「アメリカ芙蓉」は季語になっていないが、夏に咲く花なので夏の季語に準じて使用した。通常の「芙蓉」は秋の季語だが、外観が違い過ぎるのでそれは採用しない。

ところで、この句に関しては、当初以下のように詠んでいた。

 でかい面下げてアメリカ芙蓉かな

この花を最初に見た時の印象は、「でかい」ということだが、それをそのまま句に取り込んで詠んだ句である。

ただ、ひと頃のアメリカであれば、なるほどと思わせる句ではあるが、最近のアメリカは結構大人しい。その代り、新たに二つの国が「でかい面?」をしだしてきた。

ともあれ、今の現状からやや離れており、しかも品がないと言われること請け合いなので、掲句のように詠みなおした。
 
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アメリカ芙蓉は、アオイ科フヨウ属の宿根草。北アメリカ原産で日本には昭和初期に渡来。花期は7月~8月で大輪のハイビスカスのような花をつける。花の色は、ピンクや白、赤など。咲いたその日にしぼんでしまう1日花だが、夏の間は次々につぼみができて開花する。別名に草芙蓉(くさふよう)がある。
 
*宿根草(しゅくこんそう):冬や夏などに地上部が枯れ、気候が適した状態になれば、芽を出しまた花を咲かせる植物のこと。
 
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しばらくは笑む姥百合と話しけり

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■ しばらくは笑む姥百合と話しけり
                            ( しばらくは えむうばゆりと はなしけり )
 
姥(うば)というのは老女、老婆のことをさすが、何となく悲ししい響きがある。それは、姥捨山(うばすてやま)などの棄老伝説によるものだろう。イメージ 3その姥を冠した百合を先日植物園の生態園で見た。*同じ「うば」でも、母親の代わりに子供に乳を飲ませて育てる女は「乳母」。乳母車(うばぐるま)。
 
花の色は淡い黄緑色で姿もあまり派手でなく、木陰にひっそりと咲いている感じだった。今日の掲句は、そんな花の様子を見ながら詠んだ句ある。中七は当初「散る姥百合と」としていたが、寂しすぎる感じがしたので「笑む姥百合と」に変えた。姥百合は、他の百合と同様、夏の季語。
 
ところで姥捨山伝説と言えば、有名な深沢七郎の短編小説「楢山節考」(ならやまぶしこう)」がある。本は読んでないが、今村昌平監督の映画は見た。詳細は忘れたが、非常に悲しい映画だったことだけは記憶している。
 
描いている時代はいつなのかは不明だが、想像を絶するような貧しい時代だったことは確かである。今は口減らしのため姥を山に捨てるなんてことは考えられないが、介護、孤独死などその時代とは違った次元の高齢者問題がある。
 
恐らくこういう問題は、これから先も完全に解決されることはなく、形を変えて発生してくることになるだろう。尚、本ブログは、そのことを論評するブログではないので、この話はこれ以上は触れない。
 
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姥百合は、ユリ科ウバユリ属の多年草。山地の森林に多く自生する。花期は7月~8月頃。花茎を伸ばして先端に淡い黄緑色の花数個を横向きにつける。花は筒型に見えるが元の方から切れており、あまり開かない。葉は通常の百合と異なり、卵状の楕円形で幅が広い。
 
名前は、花が咲く頃に葉が枯れてくる事が多く、そのことを歯(葉)のない「姥」にたとえてつけられたとのこと。(実際には、写真の通り花が咲く頃にも結構葉はある。)名前は花のイメージから付けられたものと思っていたので、これは予想外だった。
 
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▼来週の7月28日(月)まで投稿を中断します。

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いつもご愛読ありがとうございます。
旅行のため、来週の7月28日(月)まで投稿を中断します。
29日(火)より通常通り(土日以外)投稿する予定ですので、
引き続きご愛顧くださいますようお願いいたします。
尚、その間のコメント等の返信はできませんので、ご了承ください。
お知らせまで。

▼本日よりブログを再開します。

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いつもご愛読ありがとうございます。
旅行から昨夜帰ってきましたので、本日より投稿を再開させていただきます。
引き続きご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

■炎天 二句

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■ 炎天 二句
 
      ○ 炎天下走る列車の涼しきや 
                ( えんてんか はしるれっしゃの すすしきや )
      ○ 炎天の村を生きてる村の川 
                ( えんてんの むらにいきてる むらのかわ )
 
イメージ 1所用のため、去る26日よりJR北陸本線で富山へ出かけて1泊し、せっかくだからと、帰りはJR高山本線を使って沿線の観光地を巡ってきた。巡ると言っても高山駅に降り、下呂温泉で1泊し、翌日は岐阜駅で降りて、そして京都へ帰るというもの。
 
今日から4日間は、この二泊三日の一人旅で詠んだ句と若干の関連記事と写真を掲載したいと思う。その第一日目の掲句はいずれも、京都駅から特急サンダーバードに乗り、その車中で詠んだ句である。
 
第一句は、電車が来て車内に乗り込み、指定席に座ってぼんやり外を見ていた時に詠んだ句である。その日の京都は朝から非常に暑く、駅のホームに出ただけで汗ばむ感じだったが、車窓を隔てて外は炎天下、車内は冷房がきいてひんやりと涼しい。最近電車にあまり乗っていなかったせいか、そのことが何とも面白く感じて掲句ができた。「炎天」は、「涼し」とともに夏の季語なので本句は季重なりとなるが、二つの取り合わせを考えた句なのでこのまま残すことにした。

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第二句は、広大な青田の中を流れる川を車窓から見て詠んだ句である。中七は、「村を流れる」あるいは「村に生きづく」などとすべきだが、村と運命をともにしているという感じで「村を生きてる」と詠んでみた。また、「生きてる」は、「生きている」を縮めたもので口語体。
 
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詩情を誘うせいか、炎天を詠んだ句は非常に沢山ある。以下には、その中から特に写生の句を選んで掲載した。
 
    【炎天の参考句】
     湖の今紺青に炎天下          (高浜虚子)
     炎天やけづりかけある庭の苔     (原石鼎)
     炎天の火の山こゆる道あはれ    (水原秋櫻子)
     炎天の城や四壁の窓深し       (中村草田男)
     炎天の筏はかなし隅田川       (石田波郷)


■残り梅雨 二句

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■ 残り梅雨 二句

     ○ 残り梅雨昏く鎮もる青田かな
              ( のこりづゆ くらくしずもる あおたかな )
     ○ 山間の村もけぶるや残り梅雨
              ( やあまいの むらもけぶるや のこりづゆ )
 
イメージ 1富山で用事を済ませ一泊した後、二日目は、高山本線午前8時富山発の特急ひだで高山に向かった。この日は、昨日とは打って変わって、朝から曇り空。「おわら風の盆」で有名な越中八尾駅を超えた辺りから大粒の雨が降り出した。

本日の掲句の第一句は、その時に作った句で、列車の窓から見た灰色の空と昏く沈んだ青田を見て詠んだ。外に出れば、雨の音がしたかも知れないが、車内からは非常に静まり返っているように見えた。

上五の「残り梅雨」とは、梅雨が明けた後の、ぐずついた天気のことを言うが、「戻り梅雨」「返り梅雨」とも言う.。これらの名称のどれを使うかは、その時の気分によると思うが、この時は、梅雨の雨がまだ残っていたかという感慨もあり、迷うことなく「残り梅雨」とした。これらは、「梅雨」の一形態ということで、夏の季語となる。

念のため、梅雨明けしたのかどうか確かめると、富山県は7月28日頃に、岐阜県は7月21日頃に梅雨明けしたそうだ。相当日に開きはあるが、丁度県境辺りだったので、ぎりぎり残り梅雨と言っても間違いではないだろう。これを、梅雨明け直前の雨と見れば、「送り梅雨」ということになる。

尚、本句では、「青田」も夏の季語なので季重なりになるが、句の趣向からして言葉の代替ができず、このまま残すことにした。

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次に掲句の第二句だが、これは、列車が飛騨の山間を上っていくに連れて、雨が激しくなり、山の家を煙らすほどになってきたのを見て詠んだ句である。山村の蕭条(しょうじゅ)たる情景を表現したものだが、その一方で、これから先が思いやられると少し恨めしく思った。
 
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残り梅雨、戻り梅雨、返り梅雨などの句は、それなりにあると思っていたが、ネットで探しても名のある人の句はなかった。見いだせたのは以下の2句ぐらいである
 
    【残り梅雨等の参考句】
     戻り梅雨寝てゐて肩を凝らしけり  (臼田亞浪) 
     妻にのみ憤りをり返り梅雨      (石田波郷)
 
 
                                                                                                                             つづく ==>>
 

■高山 三句

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■ 高山 三句

     ○ 出格子に風も涼しき三之町  
              ( でごうしに かぜもすずしき さんのまち )
     ○ 高山の陣屋にゆかし檜扇の花 
              ( たかやまのじんやにゆかし ひおうぎのはな )
     ○ 高山に放浪画家の花火見ゆ 
              ( たかやまに ほうろうがかの はなびみゆ )                                         
                                      ①上三之町の街並み                                                                   
イメージ 1昨日の記事では、JRで高山に向かい、残り梅雨の雨が降ったことを報告したが、実は、JR高山駅に着いた9時半頃には、幸いなことに雨は小降りになっていた。

列車から降りて、早速向かったのは観光案内所。今回の旅行では、特に行き先は決めておらず出たとこ勝負。散策マップを貰い、見所を聞いて、その方面に向かった。順を追って行った所を上げれば飛騨国分寺、高山本町美術館、高山陣屋、上三之町、鍛冶橋などである。

結構いろいろな所を回った感じだが、いずれも駅から徒歩10分~15分圏内にある所。以下では、掲句に関連する場所や事柄について記述し、その他については割愛する。

先ず、掲句の第一句だが、これは、上三之町の町並みを見て詠んだもの。この周辺の一帯は城下町の中心で、「古い町並」「三町(さんまち)」と呼ばれているが、中でも、この上三之町は江戸時代の風情が最も残っている所だそうだ。
 
②出格子と朝顔
イメージ 2【出格子(でごうし) 】
窓から外へ張り出して作ってある格子。
 
 
 
 ③セイロンライティア
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特に、出格子(でごうし)の町家が印象的で、それを覆うように咲いていたスカイブルーの朝顔や殆どの玄関先に置いてあったセイロンライティアの白い花が涼しげだった。尚、本句では「涼し」が夏の季語。

第二句は、江戸時代の御役所「高山陣屋」跡を一通り見て門を出た後、門前に咲いていた檜扇の花を見て詠んだ句。陣屋自体は広々としていて、庭園も立派だったが、役所だけあって何となく殺風景な感じ。そんな思いもあり、檜扇の花が殊更ゆかしく見えた。

尚、「檜扇」は「射干」とも書き夏の季語になっている。本記事は、植物を主体としていないので細かい説明はしないが、興味のある方は、過去の記事をご覧いただきたい。 → クリック
 
                                               ④高山陣屋跡
イメージ 4
 
第三句は、高山本町美術館でたまたま開催されていた「山下清原画展」を見て詠んだ句。わざわざ高山まで来て見ることもないだろうとは思ったが、原画を見たことがなかったので入館した。
                                               ⑤山下清原画展パンフ
イメージ 5会場はそれほど大きくなく、展示作品は100点ほどで、どこかで見たものもいくつかあった。貼り絵が中心だったが、近づいて見て、その精緻さには改めて驚かされた。

彼の絵でもっともよく知られているのは花火の絵だと思うが、掲句は、それを高山で見たことを詠んだものである。「高山」と「放浪」と「花火」の配合が面白いと思って作った句で、季語は「花火」、季は夏。(花火を秋の季語とする歳時記もある。)

因みに、山下画伯と高山とは特にゆかりがなく、地元に熱心な収集家がいて展示会が実現したとのこと。
 
 
 
 
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