■水鳥 三句(連作もどき)
○ 水鳥の遅れまいとぞ水を掻く ( みずとりの おくれまいとぞ みずをかく )
○ 水鳥の掻くを忘れて流さるる ( みずとりの かくをわすれて ながさるる )
○ 水鳥の水尾広ごりて消えゆけり ( みずとりの みおひろごりて きえゆけり )
本日の三句は、いずれも京都の岡崎公園の疎水で見た水鳥を詠んだ句である。第一句は、鴨が群をなし上流に向かって泳いでいるのを見た時に詠んだ。水中の足を引っ切り無しに動かしているのが見え、懸命に群についていこうとしている姿が印象的だった。
第三句は、別の日に詠んだ句である。少し薄暗くなった時間帯に、ただ一匹の鴨が泳いでいて、その後ろには水尾が扇状に広がり、だんだんと消えていく。何か儚さを感じさせる光景だった。
これらの三句は、それぞれ別々の場面で作った句だが、投稿にあたって並べてみるとストーリーのようなものが感じられた。群(仲間)の中で懸命に生きていたが、ふと気を抜いたせいで仲間から離れ、今は一人あてどもなく彷徨っている。
単純に言えばそんなストーリーだが、全体的にちょっと寂しく悲しい。そこで改めて見直してみると、この三句は、起承転まで表しているが結がない。この結の句を作ってハッピーエンドで終わらせれば良いと思った。しかし、その句がなかなかできない。無理に作れないこともないが、想像句は、自分の作風に合わないので、今後の宿題として残しておくことにした。
ところで、サブタイトルに「連作もどき」と書いたが、「連作」とは、かつて水原秋桜子、山口誓子などが主唱した作句法のことである。それは、一句のみでは表現が困難な時間推移等を複数の句で提示する句法である。昭和初期に一時盛んになったものの長続きしなかった。
その理由は、連作にすると、言葉を省略して作られた俳句のもつ妙趣が消えてしまうからだと言われている。高浜虚子などは、俳句の正道ではないと明確に批判した。それでも、ある事象を時間的、空間的に表現する連作の魅力は間違いなくあり、今も連作に近い形で詠まれているものも結構あるようだ。時には試みて見ることも良いのでないかと思う。
連作の具体例としては、日野草城が新婚初夜をモチーフにして作った「ミヤコホテル」が有名だが、好みでないので、山口誓子の「虫界変」を以下に掲載する。
【虫界変】
蟷螂の蜂を待つなる社殿かな *蟷螂(とうろう):かまきり
蟷螂の鋏ゆるめず蜂を食む
蜂舐ぶる舌やすめずに蟷螂 *蟷螂(いぼむしり):かまきり
かりかりと蟷螂蜂の皃を食む *皃(かお)
蟷螂が曳きずる翅の襤褸かな *襤褸(つづれ):らんる、ぼろぎれ
蟷螂の鋏ゆるめず蜂を食む
蜂舐ぶる舌やすめずに蟷螂 *蟷螂(いぼむしり):かまきり
かりかりと蟷螂蜂の皃を食む *皃(かお)
蟷螂が曳きずる翅の襤褸かな *襤褸(つづれ):らんる、ぼろぎれ
緋鳥鴨(ひどりがも):オスは頭部が赤茶色で中黄色、体が灰色。メスは頭部、体ともに焦茶色。