■ 若冲の錦市場や歳の市
( じゃくちゅうの にしきいちばや としのいち )
京都市の中心街と言えば、四条河原町界隈なのだが、そこに新京極、寺町京極という京都で最も大きい商店街が南北に並走してある。
そして、それらと交わるように錦市場(にしきいちば)という、昔ながらの商店が並ぶ通りが東西に通っている。
この市場は、江戸時代から400年も続く市場で、かの伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)という画家の生家も、ここで青果物商を営んでいたと言われている。
おりしも、今年は若冲生誕300年に当たり、シャッタに絵を描くなど様々なイベントも行われた。
先日は、たまたま近くに行き、その通りを歩いた。海外からの観光客も物珍しそうに商店を眺めながら、ある人は串刺しの天ぷらなど食べながら歩いていた。今は京都の一大観光名所にもなっている。
本日の掲句は、そんな歳の瀬を迎えた錦市場を見て詠んだものである。「歳(年)の市」は、年末に立つ市でのことで冬の季語。一般に年神祭の用具や正月用の飾物、雑貨、衣類、海産物の類などが売られる。
錦市場は、江戸時代初期の1615年に幕府より魚問屋の称号が許され、魚市場として栄えた。昭和2年に京都中央卸売市場ができたのを境に、現在のような姿に変わったとのこと。
狭い錦小路通りを挟んで百数十店舗が立ち並び、京野菜、漬物、魚介類、干物、乾物などが売られており、地元の方だけでなく多くの観光客で賑わっている。
伊藤若冲(1716-1800)は、江戸時代中期に京都錦市場の青物問屋に生まれ、様々な動植物等を鮮やかな色で緻密に描きこむ画風で知られた異色の画家である。
40歳になった時に家督を弟に譲って隠居し、作画三昧の日々を送っていたというのが長年の定説だったが、隠居後も町政に関わりを持っており、市場の危機に際してはあちこち奔走していた事が最近の史料で分かった。
若冲の絵画は、生存中においても高い評価を受けていたが、明治期に入って忘れられた存在になりつつあった。しかし、昭和期に入り再評価され、最近は海外でも多くの国や地域で、非常に高い評価を受け、現在に至るまでブームが続いている。
「歳(年)の市」は古くから数多く詠まれている。以下には、その中から特に著名な俳人の句を選んで掲載した。
【歳(年)の市の参考句】
年の市線香買に出でばやな (松尾芭蕉)
不二を見て通る人有年の市 (与謝蕪村)
年の市何しに出たと人のいふ (小林一茶)
昆布さげて人波わくる年の市 (正岡子規)
勢ひやひしめく江戸の年の市 (夏目漱石)