■ 太閤も愛でし有馬の紅葉かな
( たいこうも めでしありまの もみじかな )
昨日は、バスツアーで、兵庫県の有馬温泉に行ってきた。とは言っても、今回の目的は、温泉に入ることではなく、近辺の紅葉を見物すること。京都を9時頃出発し、途中神戸港のクルーズを楽しみ、現地には昼過ぎに着いた。
滞在時間は1時間半ほどだったので、先ずは、この地随一の紅葉スポットである瑞宝寺公園(ずいほうじこうえん))へ向かう。坂道を歩くこと約20分。息を切らしながら上ったが行った甲斐はあった。
山門から入ると、何本もの楓(かえで)などが幾重にも重なりながら、真っ赤に、あるいは黄色に紅葉している光景が目に入ってきた。聞くところによると、この地には、かの太閤秀吉が何度も足を運び、温泉に入ってはお茶会を催したとのこと。
本日の掲句は、そんなことに思いをめぐらしながら詠んだ句である。まことに平凡な句だが、ここを訪れた記念として取っておきたい。「紅葉」は言うまでもなく秋の季語。
有馬温泉は日本最古の温泉だと言われているが、以下には、観光協会の公式サイトに記載されている歴史の要点を抜粋し記載した。
【有馬温泉の歴史】
●守護神として名高い湯泉神社の縁起には、有馬温泉の泉源を最初に発見したのは、神代の昔、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神であったと記されている。
●有馬温泉の存在が知られるようになったのは、6世紀から7世紀の舒明天皇、孝徳天皇の頃で両天皇の行幸がきっかけとなり有馬の名は一躍有名になった。
●しかし、その後徐々に衰退し、8世紀に名僧行基が再興する。行基は聖武天皇の信任あつく、主に池を築き、溝を掘り、橋をかけ、お堂を築くことなどに力を発揮したといわれている。
●平安時代に入ると、各種の文献にも散見されるようになり、多くの文人や天皇、また重臣たちも有馬を訪れたとされている。清少納言も「枕草子」で「出湯は、ななくりの湯、有馬の湯、那須の湯、つかさの湯、ともに湯」と書いている。
●しかし、その後も天災などで何度か壊滅状態になり再興を繰り返すが、16世紀終わりに、豊臣秀吉が再三有馬を訪れ、様々な援助を行うことにより、有馬温泉の今日の礎を築いたとのこと。その後、有馬は今日まで繁栄の一途を辿ることとなる。
●瑞宝寺公園は、有馬温泉街の最高部(標高500m)に位置する。明治初期に廃寺になった黄檗宗瑞宝寺の跡地を、神戸市が1951年に公園として整備した。現在は山門だけあるが、これは1868年に京都の伏見桃山城から移築されたもの。
有馬温泉は、俳人もよく訪れる地であり俳枕にもなっている。以下には、その有馬温泉を詠んだ句をいくつか掲載した。
【有馬温泉の参考句】
六甲の裏の夜寒の有馬の湯 (高浜虚子)
鹿垣を見つつもぞ行く有馬かな (阿波野青畝)
蜩を有馬の温泉に聞く疲れ (星野立子)
雪しんしんただひとり編む有馬籠 (永岡うろお)
早紅葉や有馬の湯女も世とうつり (森信坤者)
鹿垣を見つつもぞ行く有馬かな (阿波野青畝)
蜩を有馬の温泉に聞く疲れ (星野立子)
雪しんしんただひとり編む有馬籠 (永岡うろお)
早紅葉や有馬の湯女も世とうつり (森信坤者)