■ 秋暑し親父もすなるポケモンGO
( あきあつし おやじもすなる ぽけもんごー )
しかし最近は、あまり騒がれなくなり、それほどでもなかったなと胸をなでおろしている。ただ、やっている人は時々見かけ、先日行った植物園でも明らかにポケモンGOをやっているなと思われる人が何人かいた。
中には、どう見てもそこそこ年配の「親父さん」もいて、少々違和感を覚えたが、同時に微笑ましさも感じた。多少周囲を気にしているようだが、スマホを見ながら歩いていれば、ポケモンGOをやっていることは一目瞭然。隠そうにも隠しようがない。
本日の掲句は、そんな状況を詠んだものである。ゲームと言えばスペースインベーダぐらいしか知らない自分には、何が面白いのか全く想像もできないが、ゲームをここまで進化させた技術革新の凄さには驚くばかりである。季語は「秋暑し」(秋)。
ところで、本句は多少とも滑稽味があり、川柳に類するのかもしれないが、そもそも川柳と俳句とは何が違うのか。以前本ブログでも記事にしたことがあるが、その要点を整理すると以下のようになる。
●俳句も川柳も同じ「俳諧の連歌」から生まれた。
●俳諧の連歌は、前の人が作った五七五の歌に別の人が七七の下の句を付け、さらに別の人がそれに五七五の句を付けるといったことを繰り返し、三十六句、あるいは百句までを一作品とする。
●俳句は、この俳諧の連歌の最初の句=発句(ほっく)が単独で作られるようになったもので、季語を入れ、切れ字を入れて強く言い切ることが肝要とされた。
●一方、川柳の方は、発句以外の付け句から派生したもので、季語や切れ字は特に重視されなかった。
●趣向として、俳句は自然や四季を詠むものが多く、川柳は人間模様や社会風刺を題材とすることが多い。
以上を標語風に要約すると、定型五七五を前提として以下のようになるのではないか。
○ 俳句なら季語一つ入れ時に切れ
○ 川柳は勝手次第で面白く
ただ、現在は俳句にも人事を題材とするものが多く、また、季語のない無季のものもあり、はっきりとした線引きは難しくなってきているように思う。