■ 破れ蓮の葉叢に揺るる花托かな
( やれはすの はむらにゆるる かたくかな )
特に後者の状況をダイナミックに表現するものとして挙げられるのが、夏に優美な花をつけ賑わした蓮である。
蓮は、その葉が非常に厚く大きいため、枯れる時もまた大胆である。そんな様子を俳句では、秋の季語として「破れ蓮(やれはす、やれはちす)、冬の季語として「枯れ蓮(かれはす、かれはちす)」として表現してきた。
本日の掲句は、先週の土曜日、二週間ぶりに植物園に行き、まさに「破れ蓮」状態にある蓮池の中に、実を飛ばした後の花托(かたく)が長い茎の先に揺れているのを見て詠んだ句である。
これから冬にかけては、この枯れがどんどん進んでいくことになるが、その情景をかつて以下のように詠んだことがある。
蓮の葉も破れ尽きたり枯れ蓮
これは冬の句だが、この冬に入る頃になると、葉がすっかり枯れ落ちて、折れた茎の残骸だけが虚しく残る。
破れ蓮に関しては、他にも以下の句を詠んでいる。
破れ蓮弔うごとく栴檀草
これは、葉が破れ、枯れていく蓮を弔うように、アメリカ栴檀草(せんだんぐさ)が生えてきて、花を咲かせているのを見て詠んだ句。
余談だが、「破れ蓮」は、「敗荷」とも書く。音読みで「はいか」とも読む。この熟語の「荷」とは、もともとは蓮のことを示すものであり、それが破れた様子は、力尽き敗れた情景を彷彿とさせることから、そのように表現されるようになったようだ。
ただ、現在使われる「荷」は「荷物」「荷(にな)う」などのように使われ、どうも蓮がイメージできない。調べていくと、草冠の下の「何」という字そのものが、人が背中に荷物を背負っている形を表しているとのこと。
だから、「荷」は草を背負っている状況を示すが、蓮の葉が茎の先端に乗った形をしていることから蓮の漢字に当てられたようだ。因みに、文豪永井荷風の「荷風」は蓮の上を吹き抜ける風のこと。「荷葉(かよう)」は蓮の葉のこと。
尚、俳句では「破れ蓮」よりも「敗荷」を使って詠んだ句が圧倒的に多い。そこで、以前「破れ蓮」で詠んだ句を紹介したこともあり、以下では特に「敗荷」で詠んだ句を選んで掲載した。
【敗荷の参考句】
さればこそ賢者は富まず敗荷 (与謝蕪村)
敗荷の風いろいろに吹きにけり (岸田稚魚)
敗荷の中の全き一葉かな (清崎敏郎)
敗荷となりて水面に立ち上がり (片山由美子)
敗荷の真ん中にゐる四面楚歌 (仙田洋子)
敗荷の中の全き一葉かな (清崎敏郎)
敗荷となりて水面に立ち上がり (片山由美子)
敗荷の真ん中にゐる四面楚歌 (仙田洋子)