■ 大阪城 三句
○ 豪奢なる暑き城かな大阪城
( ごうしゃなる あつきしろかな おおさかじょう )
○ 城下にはビル立ち並ぶ炎天下
○ 城下にはビル立ち並ぶ炎天下
( じょうかには びるたちならぶ えんてんか )
○ 短夜の夢のまた夢大阪城
○ 短夜の夢のまた夢大阪城
( みじかよの ゆめのまたゆめ おおさかじょう )
大阪城は堀に囲まれていて、近づくと白壁の五層の天守閣、そして金の鯱鉾(しゃちほこ)と金箔を施した鬼瓦が見えてきた。これが、天下取りを果たした豊臣秀吉の城かと改めて感じ入り詠んだの第一句である。本句では「暑き」が季語(夏)。
当日は本当に暑く、冷房のきいている城(天守閣)の中に入って漸く生気を取り戻した。大阪の名所とあって、さすがに外国の観光客も多い。エレベーターもあったが、階段を使い、各階の展示物をゆっくり見ながら天守閣の最上段まで行った。
外に出ると、幾分涼しい風も吹いていて、眼下には果てしなく林立するビル群が見えた。第二句は、その時見た景を詠んだもので、秀吉の「天下取り」に「炎天下」をかけた。秀吉も400年後にこうなるとは塵ほども想像もできなかったことだろう。「炎天下」は夏の季語。
露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事も夢のまた夢
本句では、「短夜(みじかよ)」を夏の季語としておいた。
その後、徳川家に接収され1629年に再建されたが、のちに天守閣は落雷で焼失し、その他の建物は鳥羽・伏見の戦いでほとんどが燃やされた。現在の天守閣が再建されたのは1931年で、民間の寄付を募って行われたとのこと。
尚、現在地表から見ることができる城の縄張り(曲輪、堀、門などの配置)は、全て江戸時代のもの。ただし、堀の位置、門の位置などは秀吉時代と基本的に大きな違いはないといわれている。
【大阪城の参考句】
ビルの窓に大阪城と春の雲 (高浜年尾)
桐一葉大阪城の石垣に (芦川巣洲)
大阪城晩夏の日影水底まで (猿橋統流子)
大阪城外濠に布く鴨の陣 (山口超心鬼)
大阪城歴史を埋め風光る (佐藤勝美)