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Channel: 写真・俳句ブログ:犬の散歩道
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松陰の至誠満開花と塾

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■ 松陰の至誠満開花と塾 
      ( しょういんの しせい まんかい はなとじゅく )

イメージ 1旅行の一日目は、厳島神社の他にいくつかの名所をまわり、萩温泉郷のホテルに泊まった。夜は桜や椿の見られる露天風呂に入って疲れを癒した。

二日目も朝から晴天で、まずは萩市内の萩焼窯元と土産店に寄り、現在NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台になっている「松下村塾」に立ち寄った。

松下村塾の建物はそのまま保存されていて、意外と狭いという印象だった。こんな場所から、明治維新の立役者が多数輩出されたと思うと心なしか胸が熱くなった。

本日の掲句は、そんな感慨を詠んだものである。
「至誠」とは松陰が人生訓としていたもの。おりしも近くに植えてあった桜は満開を迎えており、松陰の死後に、その思想が大きく花開いたことにかけて詠んだ。「花」は桜のことで春の季語。

*至誠:「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」という孟子の言葉から来ているもので、「せいいっぱいの誠意を尽くすこと」の意。

イメージ 2ところで、吉田松陰とはどういう人物だったのか。また、松下村塾とはどんな塾だったのか。詳細は知らなかったので、参考までネットなどからポイントを抜き出してみた。

【吉田松陰】
●1830年萩藩士の次男として生まれる。杉家は貧しい半農半士の下級武士で、学問に熱心な家風だった。
●10歳の時から藩校明倫館に出仕し、19歳で独立の師範となり、22歳まで明倫館で山鹿流兵学を教授した。その後江戸に出て佐久間象山から洋学を学ぶ。
●1854年米艦渡来の際に下田で密航を企てて野山獄に投獄されるが、1855年杉家での幽閉処分となる。
●1857年より萩の松下村塾で子弟を薫陶するも、1858年に安政の大獄に連座し、1859年に江戸で刑死。満29歳。
●松陰の辞世の句
 (弟子宛) 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂
 (家族宛) 親思ふ心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん

【松下村塾】
●1842年に松陰の叔父が創設し、1857年に松陰がこれを引き継ぎ、1858年に松陰が野山獄に再投獄され廃止された。
●武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れ、塾生は50名ほどいたと言われている。
●松陰が講義したのは僅か1年余りだったが、明治維新に影響を与えた人物(久坂玄瑞、吉田稔麿、高杉晋作など)や明治政府に関わる人物(伊藤博文、山縣有朋など)を多数輩出した。

イメージ 3参考句に関しては、「松下村塾」「松陰神社」を詠んだ句がネット等でいくつか見つかったので以下に掲載した。

      【松下村塾などの参考句】
        松陰の断罪書とは冷まじき    (伊藤柏翠)
        うつぎ散ることよ松陰塾の雨   (中山純子)
        落葉焚松陰神社低からず     (斉藤夏風)
        松落葉松陰の一机低くとも    (泉紫像)
        松陰の踏みし唐臼昼の虫     (藤井緑水)

イメージ 4


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