■ 寒水に翔ぶペンギンの速さかな
( かんすいに とぶぺんぎんの はやさかな )
最近は、アクリル水槽技術の発展で、大きな魚でも水中を自由に泳ぎ回る様子を見ることができる。本日の掲句は、その水槽でペンギンが水中を空を翔(飛)ぶように泳いでいるのを目の当たりにして詠んだものである。尚、ペンギンは季語でないので、上五に冬の季語「寒水」を入れた。
ところで、本句の下五を「速さかな」としたが、俳句をやっている人なら以下の句を思い出されたかもしれない。
流れゆく大根の葉の早さかな
【季語:大根(冬)】
この句は、高浜虚子の代表的な句で名句とされている。話はペンギンからずれるが、名句とはどんな句かを考えるために、掲句を敢えて対比させてみた。
まず、主題だが、虚子の句は「大根の葉の早さ」、掲句は「ペンギンの速さ」。(動作のはやさは、今の用語法では「速さ」なのでそれに合わせた。)この点では、虚子の句の方が意表をついていて新鮮である。一方掲句はやや陳腐ともとれる。
次に、句から浮かんでくる情景だが、虚子の句からは、冬の澄み切った水に流れる青々とした葉が鮮明に浮かんでくる。掲句からは、少し濁った水とペンギンの白と黒の情景が浮かぶ。その点でも、虚子の句の方がくっきりとしている。
更に句全体の余韻という点では、虚子の句の「流れゆく」「早さ」という言葉に、ある種の無常観を感じさせるものがある。掲句では「寒水に飛ぶ」に、空ではなく海を選んだペンギンへの畏敬の念を込めたが、はっきり伝わっているかどうかは心もとない。
こうみて見ると、句の良し悪しに関しては虚子の句がやはり優っており、それ故の名句であるということがよく分かる。ただ、掲句も率直な感動を詠んだものであり、手前味噌ながら十分残す意味があるとは思う。
話は戻って、ペンギンは、鳥類ペンギン目に属する種の総称である。主に南半球に生息する海鳥である。もともと飛翔能力はあったそうだが、生きる場所を空でなく海とし、翼をフリッパー(ひれ)に変化させることで、水中を飛ぶように遊泳し採餌できるようになったとのこと。
ペンギンで最も大きいのは南極大陸に棲む「皇帝ペンギン」で体長100~130 cm。写真のペンギンは「ケープペンギン」という種類で、アフリカ大陸に生息する唯一のペンギンだそうだ。
生きたペンギンが日本に初めてもたらされたのは、記録上1915年(大正4年)のことだと言われている。場所は上野動物園。日本には現在11~12種、約2500羽が飼育されており、世界最大のペンギン飼育大国になっているとのこと。
参考句はペンギンを詠んだものをネットから探して掲載した。ペンギンは季語でないので、大概は他の季語を入れて詠まれている。
秋の翳にはペンギン鳥をひとつおく (富澤赤黄男)
ペンギンの一羽おくれし春の月 (有馬朗人)
ペンギンのおじぎ今日より春と呼ぶ (小豆澤裕子)
ペンギンの手はつなぎたし春来たる (丸山工)
寒いペンギン考えは今首の中 (墨谷ひろし)