■ かんかんに熾るたき火の熱きこと
( かんかんに おこるたきびの あつきこと )
感動とは、一般に「美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること。」などと説明されるが、字義的にとらえれば、心が動かされることで、喜怒哀楽など全てを対象とするものと考えられる。
この感動には、大きなものもあれば小さなものもある。また、人によって、同じものを見ても感動の仕方が全く違う。ある人にとっては大きな感動でも、別の人にとっては、つまらないというものがある。また、ある人には美しいと思われるものが、別の人には正反対に醜くうつる場合だってある。
だから、俳句を詠む場合には、第一義的には、自分が感動するものを自分が納得できるように詠む。人がそれをどう評価しようがあまり気にしない。勿論、共感してもらえればそれに越したことはないので、二次的には、自分の感動がうまく伝わるように詠む技法を身につける必要がある。
前置きが長くなったが、本日の掲句についてはどうだろうか。この句の詩因は、「火は熱い」という驚き。もう少し詳しく言えば、最近は焚火を直接見ることがほとんどなく、初詣に行った時に、たまたま大きな薪が赤々と燃やされているのに遭遇した。近づくと、それが途轍もなく熱かったということ。
掲句は、そんな感動、小さな驚きを詠んだもので、人によっては、何ともつまらないと思うだろう。それは人それぞれでやむを得ないと思うが、ある側面から見れば、その感じ方の違いもまた、面白いと思う。
尚、熾る(おこる)は、通常、火が炭に燃え移って火勢が強くなることをいうようだが、大きな丸太が燃える様子から特に問題ないと見てそのまま使用した。本音は「熾る」と「怒る」の語呂合わせのため。「焚火」は冬の季語。
余談だが、近年焚き火は、ダイオキシン抑制などを理由に法律、条令などで規制・制限され、今はほとんど見かけない。落ち葉などに火をつけて燃やすのは面白く楽しかったが、近所の人には、結構煙たく迷惑だし、また危ないこともあり規制されるのもやむを得ないところだろう。神社での焚き火は、多分許可を得てのものだと思う。
参考句は焚き火に関するものをいくつかネットから拾い掲載した。
【焚(き)火の参考句】
焚火かなし消えんとすれば育てられ (高浜虚子)
火になりて松毬見ゆる焚火かな (吉岡禅寺洞)
一人退き二人よりくる焚火かな (久保田万太郎)
焚火して林しづかに寒の入 (水原秋桜子)
とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな (松本たかし)