■ 裸木 二句
○ 木々もまた裸になれば皆同じ
( きぎもまた はだかになれば みなおなじ )
○ 寒き夜を裸で過ごす木々もあり
○ 寒き夜を裸で過ごす木々もあり
( さむきよを はだかですごす きぎもあり )
紅葉を楽しんでいたのも束の間、周囲の木々は急速に葉を落とし、裸木ばかりが目立ってきた。本日の掲句は、そんな情景を見ながら詠んだ句である。
第二句は、特に裸木の「裸」にに注目して詠んだ句で、こんなに寒い夜も、木々は裸で過ごすんだなと詠んだもの。この句では、「寒き夜」が冬の季語になるが、やはり「裸木」を意識している。
ところで、この二つの句は、冬が本格的に到来し何となくもの寂しく沈鬱な状況を詠んだものだが、読み方によっては、違ったとらえ方ができるのではないかと思う。
すなわち第一句は、権力や地位を傘に誰かに叱責された人が、いくら偉そうに言っても、あの裸木のように葉っぱを落とせば、皆同じように惨めなものだと憤懣をぶつける句として読める。
第二句は、寒さに耐え忍ばなければならない境遇にある人が、「周囲の木々は葉を落とし裸でじっと春が来るのを待っている。自分も何とか耐えてみよう。」と自分を励ます句として読むことができる。
以前にも述べたが、俳句は、言葉の少なさゆえに、読む方の境遇や感性によって全く違う解釈が成立し、それが許される詩形であると言われている。掲句も、その一つの事例になりうるものと思う。
因みに裸木に関しては、過去に以下の句を詠んでいる。
【関連句】
① 明け方は寒くないかい裸木よ
② 裸木に薄らと化粧寒の雪
①は、冬を耐え忍ぶために葉を落とし、じっと春を待つ裸木に労りの声をかけた句。誰かをイメージして詠んだ句でもある。②は、寒中に降った雪で裸木の枝が白くなっているのを見て詠んだ句。「裸木」「寒の雪」が共に冬の季語で季重なり。
裸木に関しても結構句に詠まれているが、その中からいくつかを以下に掲載する。
裸木のむらなくぬるる時雨哉 (会津八一)
裸木のはるかに雲を恋ふるかな (青柳志解樹)
坂下りてみな裸木の街に住む (辻美奈子)
裸木に裸灯を吊り飾売 (飯野燦雨)
裸木となりて大樹の姿見ゆ (曽我玉枝)