■ 心急く銀杏落葉の堆き
( こころせく いちょうおちばの うずたかき )
本日の掲句は、そんな心境を昨日見た銀杏落葉に重ねて詠んだもの。銀杏の黄葉は、もうかなり落ちていて、樹下に絨毯のように堆積していた。銀杏落葉は冬の季語。
ところで、落葉と言えば、いつも思い出すのが以下に示す二つの句である。一つが、水原秋桜子の句。
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
(群馬県赤城山にて)
この句は、「啄木鳥(きつつき)」が秋の季語、「落葉」が冬の季語なので季重なりになる。ただ、啄木鳥に切れ字の「や」がついているため、啄木鳥を主たる季語とみなし、秋の句とされている。
啄木鳥が木をつつく音、それに急かされるように葉が落ち始めた、晩秋の高原牧場の景が目の前に見えるように詠みこまれている。名句としての評価も高い。自選自解では、現場で詠んだのでなく、翌年に思い出し、苦労なく詠みあげたと記載されている。
もう一つの句は、加藤楸邨の以下の句。
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ
この句は、「木の葉」もしくは「木の葉降る」が季語で、季は冬。丁度今頃に詠んだものと思われる。破調の句だが、木の葉がひっきりなしに降る様子に何か心急かれるものを感じ、「いそぐな、いそぐなよ」と木々に呼びかけつつ、自分の気持ちをなだめている様子が伝わってくる。また、あえて、ひらがな表現にしているところに、作者の思いが込められているようだ。
尚、ここでは、「木の葉」が使われているが、「枯葉」では寂漠たる感じが強く出過ぎ、「落葉」では地面に落ちてしまって、動揺する感じが出てこない。
銀杏落葉に関しては、過去に意外に詠んでなく、以下の一句のみ。読み返し一部修正した。
真黄なる銀杏落葉の褥かな *褥(しとね)
因みに、銀杏の季語については、銀杏(いちょう)単独では季語にならず、「銀杏(ぎんなん)」「銀杏の実」「銀杏黄葉」「銀杏散る」は秋の季語、「銀杏落葉」は冬の季語。「銀杏の花」は春の季語になる。
銀杏落葉の句は結構詠まれており、その中から比較的分かりやすいものを以下に掲載する。
【銀杏落葉の参考句】
鳩立つや銀杏落葉をふりかぶり (高浜虚子)
蹴ちらしてまばゆき銀杏落葉かな (鈴木花蓑)敷きつめし銀杏落葉の上に道 (池内たけし)
花の如く銀杏落葉を集め持ち (波多野爽波)
銀杏落葉城の裏道明るうす (池田三斗史)