■ 秋思かな枯紫陽花に赤みさす
( しゅうしかな かれあじさいに あかみさす )
写真①
紫陽花や色落ちぬれば緑なり
夏の代表的な花が、立秋を迎える前に青紫の色を落とし、薄緑色に変色したことを詠んだものである。既に薄茶色に変色していると思っていたので、これはこれで新鮮な驚きだった。そして、この記事の末尾に、この後水気を失ってドライフラワーのようになり、薄茶色になるだろうと記載した。
写真②
ところがである。先般、その紫陽花を見ると、今度は写真②のように赤みがさしているではないか。何と秋も過ぎようとしているというのに、まだ熱気が残っていたか。そんなことも考えながら詠んだのが、本日の掲句である。(写真②~⑤)
本句では、この紫陽花を枯紫陽花としたが、前の緑の時よりも枯れた雰囲気があるので、この言葉を使った。上五を何にするか迷ったが、「秋にもの思うこと」「秋のあわれ」という意味の季語「秋思」を使った。「枯紫陽花」は季語ではない。
それでは、どうしてこのように変色するのか。ご承知の方も多いと思うが、梅雨時に咲く花は、その土壌によって違い、酸性にすれば青色に、中性から弱アルカリ性ではピンク色になると言われている。
しかし、花の色が落ちた後に緑や赤に変化するのは、その原理とは違い、花の色素が少しずつ分解されて起こるものだそうだ。赤くなるのは紅葉と原理的には同じで、老化現象の一種だとのこと。より詳しいことは、専門的になるので割愛する。
写真③
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ところで、秋に入り、このように変色する紫陽花について、「秋色あじさい」と呼ばれていることはご存知だろうか。これは最盛期が過ぎ 色が緑や紅色に変化するのを愛でる人がおり、切り花として利用する人が出てきて、そう呼ばれるようになったそうだ。そういう品種があるわけではないとのこと。
今後、これらが更に干からびてきてドライフラワーのようになり、褐色に変化した“本物”の枯紫陽花になっていくが、それはそれでまた違った風情がある。
写真④
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参考句に関しては、「秋思」を詠んだ句を掲載する。
頬杖に深き秋思の観世音 (高橋淡路女)
爪切れど秋思どこへも行きはせぬ (細見綾子)
永劫の涯に火燃ゆる秋思かな (野見山朱鳥)
夕闇を集めて秋思完了す (高野ムツオ)
丸善に秋思の木椅子濃い珈琲 (大西やすし)
写真⑤