■ 骨董の風格もあり南蛮煙管
( こっとうの ふうかくもあり なんばんぎせる )
南蛮煙管(なんばんぎせる)という植物は、ブログや図鑑の写真などで知っていたが、実際のものは見たことがなかった。それを、2週間ほど前に京都の植物園で見た。草に隠れていて少し見にくかったが、確かに写真で見た、あの南蛮煙管だった。
ところで、喫煙具の南蛮煙管だが、これは16世紀後半に煙草とともに南蛮人(ポルトガル人)により日本に伝えられパイプのこと。「キセル」という言葉は、カンボジア語で管を意味する「クセル」が、なまったものといわれている。(異説あり)
煙草は長崎に伝わるや、瞬く間に京都で大流行し、すぐに煙草が栽培され、国産の煙管も作られるようになったとのこと。初期の頃の煙管は大作りであったが、やがて携帯出来るように小型化していき、煙管筒や刻み煙草を入れる袋と取り合わせて着物の帯にぶら下げて持ち歩くようになったそうだ。
煙管といえば、今は「キセル乗車」という言葉以外で聞くことはないが、この言葉は、吸い口とたばこを乗せる部分である雁首(がんくび)にのみ金属を使用することから、「入るときと出るときは金を使うが、中間には金を使わない」ということで作られた言葉だとのこと。
植物の南蛮煙管は、ハマウツボ科ナンバンギセル属の一年草。葉緑体をもたないため自活できず、ススキ、チガヤ、ミョウガなどの根に寄生する。原産地は日本。茎はごく短く、ほとんど地上に出ない。7月から9月ごろ、長い花柄を伸ばして、その先に淡い紫紅色の花を咲かせる。
南蛮煙管の名は、見ての通り、草の姿が似ていることに由来するが、それまでは、「思い草」と言われていたそうだ。花の姿が、草の陰で慎ましく、小首を傾げて「もの思いに耽っている姿」を連想させることから付けられたと言われ、万葉集にも以下の歌が詠まれている。
道の辺の尾花がしたの思い草
今さらになどか物は思はむ (詠み人知らず)
俳句では、さすがに詠まれた句は少ないが、ネットで見つけた句をいくつか参考まで掲載したい。
【南蛮煙管、思い草の参考句】
照り翳り南蛮ぎせるありにけり (加藤楸邨)
思い草胃なし男に返り咲く (佐藤鬼房)
この草のその名愛しき思草 (辻田克己)
跼み見るものに南蛮煙管かな (山崎ひさを)
*跼む(せぐくむ):背をまるめてこごむ。
一触即発南蛮煙管咲きました (栗林千津)
一触即発南蛮煙管咲きました (栗林千津)