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Channel: 写真・俳句ブログ:犬の散歩道
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武士の禊の色か白桔梗

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■ 武士の禊の色か白桔梗
      ( もののふの みそぎのいろか しろききょう)
 
桔梗(ききょう)は秋の七草の一つで、秋の季語にもなっているが、6月終わりぐらいから咲き始める。花の色は紫色がほとんどだが、時折白い花を見る。花びらが綺麗に反り返り、混じりけのない白一色。その姿は何とも凛々しい感じがする。

イメージ 1さて、この姿を何に喩えるべきか考えていた時に、いつぞやNHKの「軍師官兵衛」で見た、備中国高松城主清水宗治の切腹の場面を思い出した。小舟に乗って秀吉の本陣まで漕ぎ、白装束で舞を踊った後、 「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」という辞世の句をしたため自害した。

この時の白装束が非常に印象的で、それが白桔梗と重なり、本日の掲句ができた。禊(みそぎ)とは、本来「 身に罪や穢れのある者が川や海の水でからだを洗い清めること」をいうが、ここでは、「死をもって責任をとる」という意味ととらえ、武士の禊=切腹として詠んだ。

ところで、この切腹だが、最初に行ったのは平安時代末期の武士である源為朝だと言われている。それは、敵に捕縛され、斬首されることを避けるための自決だった。それから時が流れ、切腹が名誉と見られるになったのは、上述の清水宗治の切腹以降だそうだ。切腹の際の宗治の態度や作法が見事だったため、秀吉が感服し、切腹が名誉ある行為という認識が広まったとのこと。

そして江戸時代には、複雑で洗練された儀式となり、介錯人がつく切腹の作法が確立された。但し、その後、切腹自体が形式化し、扇子や木刀に手を触れた時に介錯人が首を落とすようになったとのこと。いくら武士と言われても実際には作法通りできなかったそうだ。

明治に入ってからは、死刑執行方法としての切腹は廃止されたが、名誉ある自決だとする思想は残り、今も「死んでお詫びする」という日本の贖罪意識に影響を与えている。それにしても、凄まじい風習があったものだ。

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閑話休題。桔梗に関しては、これまで以下の句を詠んだことがある。

     【関連句】
      ① 桔梗のバルーン弾けて星一つ
      ② 端然と咲きて乱れぬ桔梗かな
      ③ 恙なく吉凶もなし桔梗かな

①は、蕾の時は花弁がつながっており、風船のように膨らんでから開花するのを見て詠んだもの。②は、色も形もそれほど派手ではないが、いつも端然として上品な感じがする桔梗の姿をを詠んだ。③は、日々の生活を穏やかで落ち着いた感じがする桔梗の花に掛けて詠んだもの。
 
参考句については、特に白桔梗を詠んだものを選んで掲載した。

      【白桔梗の参考句】
       銅瓶に白き桔梗をさゝれけり     (正岡子規)
       佛性は白き桔梗にこそあらめ     (夏目漱石)
       欠礼の筆こつと擱く白桔梗        (鷹羽狩行)
       白桔梗和紙のあかるさもて咲けり   (関洋子)
       おもかげや折目正しき白桔梗     (舩越美喜)
 
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