■ ちりちりとちりのごとくにもみじさく
( ちりちりと ちりのごとくに もみじさく )
楓(かえで)の花は、桜が咲き始めた頃から咲くが、塵のように小さいため、満開になってもほとんど目立たず、遠くから見ると、何か赤いものが垂れ下がっているようにしか見えない。そんな花も、よく見れば花弁や蕊もあり実に愛らしい。
ところで、毎年同じ花を同じ場所で見ていると、詠む句も自ずと似通ってくる。特に一物仕立ての句であれば、表現に変化を持たすのは結構難しい。例えば、過去に以下の句を詠んだ。
もみじにも塵のようなる花の咲く
着想は掲句と変わらないのだが、この句は、楓にも塵のような花が咲くんだと気づき、その小さな驚きを詠んだもの。一方本日の掲句では、それを知った上で、今年もまた塵のように花が咲いたという感慨を詠んだ。読者にその真意が伝わるかどうかは別として、作者としては、詠んでいる対象や気分は幾分違う。したがって、これらの二つの句は別の句と考え残すことにした。
*一物仕立て:他の事物と取り合わせずに、対象となる季語だけに意識を集中させ、その状態や動作などを詠んだ句。
以下の句などは、少し見方を変え、秋の紅葉のことを意識して詠んだものである。
花かえで遠慮深げに咲きにけり
楓は、やはり秋の紅葉の季節における主役。だから春の花の方は、遠慮深げだとというのがその句意である。
楓(かえで)については、以前本ブログでふれたこともあるが、植物学的には、カエデ科カエデ属の木を総称している。その語源は、葉の形を「蛙の手→かえるで」に見立て、それが転じたという説が一般的である。
これから夏にかけて、その楓の葉は瑞々しい緑となり、二つの種子が密着した、プロペラのような形の果実が方々で見られるようになる。それはそれで、また新たな感興を呼び起こしてくれることだろう。
花楓紺紙金泥経くらきかも (水原秋櫻子)
*紺紙金泥経(こんしこんでいきょう):紺紙に金泥(こんでい)で書いた経文。
躙口冷えただよひて花楓 (後藤智子)
躙口冷えただよひて花楓 (後藤智子)
*躙口(にじりぐち):茶室の小さな出入り口のこと。
花楓こまかこぼるる又こまか (皆吉爽雨)
日ごと読む詩の一書あり花楓 (永見嘉敏)
花嫁にそそぐ日と風花楓 (西宮舞)
花楓こまかこぼるる又こまか (皆吉爽雨)
日ごと読む詩の一書あり花楓 (永見嘉敏)
花嫁にそそぐ日と風花楓 (西宮舞)