■ 夏柑の聖樹の灯りに見ゆる日よ
( なつかんの せいじゅのあかりに みゆるひよ )
( なつかんの せいじゅのあかりに みゆるひよ )
今日はクリスマスイブ。最近、夜に繁華街へ行かないのでよくわからないが、駅中やデパートなどでは、12月初め頃から大きなクリスマスツリーが飾られ、イルミネーションが煌々と光輝いていると聞く。
ところで、掲句は、聖樹(クリスマスツリー)が季語で冬の句となるが、夏柑が春の季語で季重なり、季違いの句となる。しかし、これをあえて使ったのは、通常の蜜柑(温州蜜柑など)とは、木の印象が全然違うからである。こういう句については、いろいろと批判もあるが、実際に見える光景を写生したものであり、とりあえず残すことにした。
因みに季重なり、季違いの句としてよく引用される句としては、以下のものがある。
《季重なり、季違いの参考句》
蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ (松尾芭蕉) ◎ゆく秋:秋 △蛤(はまぐり):春
猫の子が手でおとすなり耳の雪 (小林一茶) ◎雪:冬 △猫の子:春
蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ (松尾芭蕉) ◎ゆく秋:秋 △蛤(はまぐり):春
猫の子が手でおとすなり耳の雪 (小林一茶) ◎雪:冬 △猫の子:春
こういう場合、通常は季節感の強い季語の方をとり、蛤、猫の子などの季語は無視ないし放棄される。
ところで聖樹(クリスマスツリー)は何のために飾るのか。その起源 (由来) ついて調べると、「古代ローマ市民の間で、冬至までに短く弱くなる太陽が冬至以降に復活することを祝う祭りがあり、この時にヒイラギ (柊) など常緑樹を飾ったり、プレゼントを贈ったりなどした。その慣習を、キリスト教布教に当たってクリスマスに取り込んだ。」という説明があった。但しこの他にも様々な説があり、どうやら定説はないようだ。
ただ、いずれの説も、何かを祝ったり、楽しんだりするためのものであるということでは共通している。今は、蝋燭に代わり電飾という便利なものができて、クリスマスツリーもますます派手になってくるが、それはそれで良しと見るべきか。
【聖樹の参考句】
不景気の街を操る聖樹の灯 (小林美代子)
聖樹にて星より高き鐘があり (二川のぼる)
聖樹灯し治癒なき病いまだあり (田川飛旅子)
灯ともすや聖樹は森の香を放ち (赤坂英代)
香港の夜景の中の大聖樹 (前田恭好)