■ 冬の花寄せて華やぐ狭庭かな
( ふゆのはな よせてはなやぐ さにわかな )
本日の掲句は、コンテストに展示された寄せ植えを狭庭においてみた情景を想像して詠んだ句である。季語は「冬の花」(冬)。*ハンギングバスケット:空中につるしたり、壁に掛けたりして用いる植木鉢に植物を植え込んだもの。
実のところ、この展示を見た時に、最初に作ったのは以下の句である。
寄せ植えや季語を重ねる美技もあり
寄せ植えは、季節の花をいろいろとり混ぜて美しさを醸し出す園芸。こういう手法があるなら、俳句でも季語を重ねて詠むという“美技”もあっても良いのではないかというのが句意である。ただ、この句は無季なので掲句を別に詠んだ。
ご承知の通り、俳句には、季語を必ずしも入れる必要はないとする「無季俳句」もあるが、季語を必ず一つ入れなければならないとする「有季俳句」が主流となっている。
そして、その「有季俳句」では、一句の中に複数の季語を入れることを「季重なり」といい、できるだけ避けるべきであるとされ、やむを得ず複数になる場合は、どれが主たる季語であるかが明確になるように詠むべきであると言われている。
その理由は、季語をいくつも入れると焦点がぼける、あるいは季語の持ち味が消えるということである。確かにそういう側面はあるが、この時問題になるのは、周囲には「季重なり」が満ち溢れているということ。
だから、初心者だからと言って、季重なりを始めから避けるべきでなく、むしろ季語を重ねることで感動を表現することにも積極的に取り組んでみるべきではないかと思う。その上で、焦点がぼけるようであれば、季語を絞るというのも一つの作句法ではないだろうか。
尚、こうした考え方は決して新しい考え方ではなく、これまでもたびたび議論されてきた。ただ、主流ではないようなので、今後、いろいろな句を見たり、句作に取り組みながら「季重なりの良さ」について検証を重ねていきたい。
参考まで、名だたる俳人の季重なりの句をいくつか以下に掲載した。
白露もこぼさぬ萩のうねり哉 (松尾芭蕉) [白露:秋 萩:秋]
行く春や逡巡として遅さくら (与謝蕪村) [行く春:春 遅さくら:春]
猫の子が手で落とすなり耳の雪 (小林一茶) [猫の子:春 雪:冬]
元日や上野の森に去年(コゾ)の月 (正岡子規) [元日:新年 去年:新年]
秋天の下に野菊の花弁欠く (高浜虚子) [秋天:秋 野菊:秋]
鰯雲天にひろごり萩咲けり (水原秋桜子) [鰯雲:秋 萩:秋]