■ 姥百合の咲くや静けき森の陰
( うばゆりの さくや しずけき もりのかげ )
かくいう自分も、それを初めて見たのは数年前。植物園の一画に自然を模して造られた生態園の森陰にひっそりと咲いていた。
この花は、百合と言っても非常に地味な感じ。花弁は半開きで、薄緑色をしている。
何となく寂しげであり、その印象が名前の由来だと思っていたが、調べてみると違っていた。
定説かどうかは分からないが、花が咲く頃に葉が枯れてくる事が多く、そのことを歯(葉)のない「姥」にたとえてつけられたとのこと。(実際には、写真の通り花が咲く頃にも結構葉はある。)
本日の掲句は、その百合を改めて植物園で見て、その情景をそのまま詠んだ句である。「姥百合」は他の百合と同様、夏の季語。
因みに、姥百合に関しては過去に以下の句を詠んでいる。
しばらくは笑む姥百合と語りけり
ところで、姥(うば)というのは老女、老婆のことをさすが、何となく悲ししい響きがある。それは、姥捨山(うばすてやま)などの棄老伝説によるものだろう。
有名な深沢七郎の短編小説「楢山節考」(ならやまぶしこう)」は、それをテーマにしたもの。今村昌平監督の映画を見たことがあるが、非常に悲しい映画だったことだけは記憶している。
描いている時代はいつなのかは不明だが、想像を絶するような貧しい時代だったことは確か。今は口減らしのため老婆を山に捨てるなんてことはないが、介護、孤独死などその時代とは違った次元の高齢者問題がある。(本ブログは、そのことを論評するブログではないので、この話はこれ以上は触れない。)
【姥百合の参考句】
姥百合の林中己が影避けて (飯島晴子)
姥百合の葉に張りつきし落花かな (右城暮石)
すがれても姥百合背筋ぴんしゃんと (高澤良一)
姥百合にかへる谺となりにけり (藺草慶子)
姥百合の花素気なく棒立ちに (重見和子)